天安門で法を正す前のこと

文/日本大法弟子
 私は、先日天安門広場で多くの西洋人弟子たちと一緒に法を正した日本人弟子です。今日は、天安門広場に行く前のことについて話したいと思います。

 天安門広場で法を正すのは2月14日でしたが、私が北京に入ったのは2月11日の昼頃でした。
決行日より4日も前に北京に行くことに決めたのは、北京の市街地にポスターや横断幕を張ろうと思ったからでした。とはいえ飛行機を予約した段階では、決行日より前に北京市街で真相説明資料を貼ることが法に則ったことなのかどうかをあまり深く考えておらず、軽い気持ちで飛行機を予約してしまいました。
 あまり深く考えずに11日の飛行機を予約してしまいましたが、その後少し考えてしまいました。「もし、決行日前に私が捕まってしまえば、今回の計画全体に影響を与えてしまうのではないか? それでは、今回の計画を危険に晒してしまう私の行動は正しいといえないのではないか?」とか「天安門で法を正すことは、北京市街でポスター等を貼ること以上に重要だ。最も重要なことを確実に成功させるために、北京市街でポスター等を貼ることを控えるべきではないか?」とか「私が天安門で旗を広げさせるために、日本でも同修が仕事や睡眠時間を犠牲にして頑張っている。天安門に行く前に私が捕まってしまったら、彼らの努力までも無駄になってしまうのではないか?」などとも考えました。二人の同修にも相談しましたが、どちらも「やるべきではない」との回答でした。結局、北京に真相説明資料を持っていったものの、北京についてからもまだ迷いがあり、ホテルに着いてからもまだ迷っていました。
 しかし冷静に考えてみれば、私は何をしにここに来たのでしょう? 衆生を済度するために来たのではないでしょうか? 目の前には、邪悪の讒言に騙されて淘汰されようとしている生命が大勢います。そして、私は今、真相を説明する資料を沢山持ってきています。なぜそれを市街に貼らないのでしょう? まさか私は彼らを救いたくないのでしょうか? そもそも衆生を救いに北京に来たはずなのに、私は最も大事なことを見失っていました。
 そこまで思い至って、私は悟りました。『恐れの心がなければ、恐れさせる要素もなくなります』≪最後の執着を取り除く≫。では、もし私が天安門広場に行く前に逮捕されてしまうことを恐れなければ、私は逮捕されません。
 そもそも天安門広場で旗を広げることも、北京市街で真相説明資料を貼ることも絶対的に正しいことです。もし大法弟子が何の執着もなく、絶対的に正しいことを、正念を発しながらするのであれば、何を恐れる必要があるのでしょうか?
 ここまで悟って私は、一人でも多くの衆生を済度するために、何としてもこの恐れの心をはじめ関連する全ての執着を捨て、北京市街でポスターや横断幕を貼ることを成功させ、更に天安門広場で旗を揚げることも成功させようと決意しました。
 
 以降私は、昼間はホテルで睡眠をとったり法を学んだりして過ごし、夜は北京市街で真相を伝えるポスターを貼ったり、横断幕を吊るしたり、VCDを配ったりなどをしました。
 配っているとき、ときどき恐れの心が生じることもありました。例えば、ポスターを貼り終えてふと横を見ると、そこは派出所だったということもありました。そのときも恐れの心が出てきてしまいましたが、私は「何を恐れるのか。これは危険ではなくよいチャンスなのだ」と考えを改め、派出所近くに停まっていたパトカーのフロントガラス、派出所の周囲の電柱などに真相説明資料を貼りました。警官4人が窓ガラス付近で話しており、うち2人はこちらの方へ顔を向けていました。しかし、資料貼付作業中に私が彼らと5m程の距離にまで近づいても、彼らは全く反応しません。彼らはまるで私が見えていないかのようです。このとき、正念の威力を感じました。
 
 日本から持ってきた資料は少し多めだったので配りきれないかとも思いましたが、天安門で旗を揚げる日である14日の朝までにはなんとか配り終えることが出来、資料の量はまさに適量でした。これも師父の按配だと感じました。
 
 ポスターを貼っている最中、何度か逮捕される危険に直面することもありました。例えば、私は北京の地理がよく分からないので、ポスターを貼っていて気が付いたら天安門近くの人民府前だったということもありました。そのとき、ふと周りを見渡すと周囲は公安局の人と思われる人ばかりで、うち二人は先ほど私が貼ったポスター(そのとき私のいた場所から20メートル程度の距離しかありません)を読んでいました。私はウォークマンで師父の説法を聞きながらポスターを貼っていたので足音や話し声など全く気が付かず、あれほど大人数の公安の人が至近距離に近づいているとは全く思いませんでした。このときは、恐怖心を根絶できませんでした。
 しかし、こういった状況に陥るたびに師父は私を助けて下さいました。このときも偶然タクシーが通り掛かったので、急いでタクシーに乗り込んで事なきを得ました。タクシーに乗ってから冷静になり、肝心なときに心落ち着かせて正念を発することが出来なかったことを後悔しました。
 
 今思えば、私一人で円満に資料を配れるものではありません。絶えず私を見守ってくださる師父がいらっしゃったからこそ、無事成功させることが出来たのです。改めて師父に感謝いたします。

 最後に、私が吊るした横断幕の写真を一箇所でだけ撮ってきたので添付します。
 この文章と写真が、大陸の弟子を応援となることを、そして次に天安門に向かう国外弟子の参考となることを願っています。