| 世界は真・善・忍の道徳教育を必要としている |
李先生こんにちは、皆様、こんにちは。 私は学校で教師をしております、三辻 富貴朗と申します。法輪功と出会ってから1年と1ヶ月ほど、経ちました。この素晴らしい法輪功との出会いに、そして、本日、皆様方と共にこの交流会でお会い出来ましたご縁に、そして何よりも、いつも温かく見守って下さる李先生に、心より深く感謝申し上げます。ありがとうございます。 本日は「世界は真・善・忍の道徳教育を必要としている」という題で、スピーチをさせていただきます。ご来場の、これから法輪功を始められる皆様方にとりまして、少しでも法輪功の素晴らしさを知るきっかけとなれば、大変幸せに存じます。 私は、この世に命を授けられ、この世に生きている限り、常に自分の内面を高め、高め続けたいと心から願って参りました。常に謙虚に自分の足りないところを探し、どこまでも自分を変え、向上していきたい……と思って参りました。そして、ある時、「身近に本物の師はいないものか、内面を高めることの出来る、明確な指針と具体的方法はないものだろうか、本物に巡り会いたい……」と、心から願いました。まさに、その直後、私は万年かけても巡りあうことの出来ない、この素晴らしい法輪功と奇跡的に巡り会うことが出来たのです。私は法輪功に出会う奇縁を得て、本当に人生が変わりました。本当に得難いもの、長らく探し求めて来たものにようやく出会えたのです。 さて、気功と申しますと、皆様は健康と美容に良い、なめらかで美しい動作を行う太極拳の様なものを想像されるかも知れませんね。しかし、李先生が私達に授けて下さった、この法輪功は、これらのものとは大きく一線を画し、これらをはるかに、はるかに凌ぐ、かけがえのない、極めて素晴らしいものなのです。もちろん、法輪功を真に学べば、健康や美容にも高い効果があります。私もこの気功を行うことで、不治の病と言われている糖尿病を、お陰様で完全に克服することが出来ました。私はこうして、今、普通の生活、普通の食事をしながらも、何事もなく健康でいられ、この様に皆様に法輪功の素晴らしさを伝えることが出来ています。そして、何よりも、真に内面を高め続けることが出来るかけがえのない教えを得ることが出来ました。ですから、李先生には、心から感謝しております。ありがとうございます。 体質を根本から改善し、健康になることは、実は法輪功を行い、行い続けて得られる副次的な効果です。本当の法輪功の素晴らしさは、ここでは語り尽くすことができないほどです。「人生の本義を悟り、人としていかに生きていくべきかをはっきりと知り、内面を究極まで高め続ける指針を得られる」ことも、そのひとつですが、法輪功を学んで得られるものは広大無辺で、筆舌に尽くしがたいほど素晴らしいものです。人類一人一人にとって、「人生とは何か、人としていかに生きていくべきか」は永遠の問いであり、この事を知り、実生活に活かすことが出来るだけでも、本当にかけがえのない価値があります。 世の中には、今日の食事にありつく為だけにあくせくと働き、私利私欲のために、つまらないことで互いに争い、傷つけあい、明日の自分を憂えてばかりの人達が大勢います。人生も半ば過ぎ、ふと、気が付くと「私は、何のために今まで生きてきたのか?」と愕然とするのです。「人生とは一体、何のためにあるのでしょう?」その答も、実はこの「転法輪」に明確に示されています。この「転法輪」は、本当に「人生を変える一冊」なのです。 健康になりたい方はもちろんのこと、一生、自分を高め続けていきたい! という精神修養にご興味のある方や、人生の本義をつきつめたいという方、真に幸せな人生を送りたいと思われている方にとりましても、「法輪功との出会い」、「転法輪との出会い」は、必ずや「かけがえのないもの」となります。ご来場の皆様方、この万年経っても巡り会えない、法輪功との出会いを是非とも、大切になさって下さいませ。 さて、私は最初にも申し上げました通り、学校で教師をしております。なぜ、この職業を選んだかと申しますと、教育という仕事を通じ、未来の社会に少しでも「善なる影響」を与え、「明るい社会創りに寄与したい」と考えたからです。教育の最も素晴らしいところは、次代を担う若者に「善なる影響」を広く与えられ、その事を通じ、何世代にも渡る未来社会に対し、何らかの形で「善なる影響」を与え続けられるところである……と思っております。自分がこの世を去った後でも、社会に「善なる影響」を与え続けられることは、私にとりまして、ロマンであり、希望であり、責任である……と感じているのです。 反面、現行の「歪んだ教育方針」がもたらす様々な弊害は、そのまま「社会の歪み」となり、「おぞましい犯罪」や、自分さえ良ければお構いなしいった「殺伐とした心理」、金のためなら何でもやりかねないといった「人間性を失った人格」を生む潜在的な温床となってはいないでしょうか?この「醜悪な社会」、「道徳心の欠如した社会」を根本から変えるには、知識偏重の「詰め込み教育」や他人を蹴落とす「競争重視の教育」から、生命、そして人の心を大切にする「道徳教育」にもっとバランスをシフトする必要があるのではないでしょうか? さて、「道徳教育」と申しますと、青少年や我が子に対する教育を指して言っていると聞こえるかも知れませんが、実は、青少年や我が子の教育以前に、「世界中の大人達にこそ」、道徳教育が必要なのではないか? と私は考えております。世の中を見回してみますと、もちろん、全てとは申しませんが、政治家、社長、警察官、教師、子を産み育てる親など、まず人の上に立つべき大人達による犯罪が日々、テレビニュースや新聞をにぎわせているではありませんか。 低俗なテレビ番組や、猟奇的殺人を奨励し、人の心をあおり立てるかの様な映画、青少年に悪影響を及ぼす様な雑誌群…人間を堕落させる要素は、街に蔓延しています。人々は、こうした表層だけをみて「メディアが悪いのだ」と社会の退廃の原因をメディアのせいに決めつけたりしがちです。しかし、本当はメディア自体が悪いのではありません。なぜならば、メディアは、良いものも、悪いものも乗せることが出来る、単なる「器」にしか過ぎないからです。問題の本質は、メディアに関わる大人達の良心、道徳心が地に堕ちてしまったことにこそあるのです。人心が腐ってしまったからこそ、この様な腐った社会が現出しているのではないでしょうか? さて、大人達は、凶暴化し、不良化する子供達をみて、「子供達が全て悪い」とどこかで一方的に決めつけてはいないでしょうか?大人達が創ったこの社会の有りさまを、私達は、果たして胸を張り、子供達に正しい見本として見せていくことが出来るのでしょうか?また、私達一人一人が、自らを子供に見せる完璧な手本として、日々ふるまっていると果たして言い切れるものでしょうか?正直に言えば、それは極めて難しいと言わざるを得ないでしょう。だからこそ、私達は、一生をかけて限りなく自分を高め、自分自身をまず厳しく律していく必要がある……と思うのです。 大人である私達一人一人が謙虚に自分と向き合い、様々な歪んだ心を捨てる事なく、歪んだ社会を真に正すことは出来ない……と思います。子供は親を見て育ちます。ただ子供に「ああしなさい! こうしなさい!」と説教し、形だけの「道徳教育」を押しつける前に、まず、私達自身、一人一人が足りないところを内に向かって探し、歪んでいるところを自ら反省し、今よりも更に更に自分を高め続けていく必要がある……と思うのです。 私達は、心のどこかで「私はなかなかに良く出来た人間だ」などとうぬぼれているところはないでしょうか?気づかぬところで、様々な欲にまみれていたり、耐えきれず、いがみあい、その気がなくてもどこかで人を傷つけていたり、いつの間にかあれこれ自慢げに話していたり……といったことはないでしょうか?「いつになっても、子供は子供だ。子供は、親に服従するものだ」と、子供をまるで、自分に都合の良いロボットの様にみているところはないでしょうか? 教育を通じて、未来の社会、未来の人類に本当に善い影響を与えていくには、世界中の一人一人が、子供を教え、育てていく我々一人一人が、自分自身に向かって、一生、内面を磨き続けていく必要があるのです。 教育の問題は、何も学校の先生だけの問題ではなく、お子様をお持ちの親御さんや、これから結婚して、子供を育てていかれる若い方にも、非常に重要な問題であり、関心事であります。それでは、私達は具体的にどのような指針で道徳教育を行っていけば良いのでしょうか?それを知るには、まずここにいる私達一人一人が、真の道徳とは何かについて、興味を持ち、深く学んでいく必要があると思います。幸いなことに、その答が実は、この本「転法輪」の中に、この上なく明確に記されています。私は、この本を読み、人生観が本当に激変しましたが、この「転法輪」という本は、世の「ありとあらゆる疑問」に明快に答を出すことの出来る非常に不思議な本で、道徳教育の問題についても例外ではありません。 道徳の規準すら歪み、何が正しく、何が間違っているかも判断出来なくなったこの時代において、善悪の絶対的な基準、宇宙の因果律がわかれば、私達は、迷うことなく自らを正しく律し、またそれを次代に受け継がせることが出来ます。そして、そのことにより、未来の世界をより良い方向に導くことが実際に出来るのです。では、その基準とは一体、何でしょう? 法輪功の創始者であられる李洪志先生は、この「転法輪」の中で、宇宙のあらゆる善悪を判断する唯一の基準について、明快に述べられています。 すなわち、宇宙万物の中に「真・善・忍」という最高特性があり、これこそが、宇宙のあらゆる善悪を判断する唯一の基準である! と明言されているのです。 では、「真・善・忍」とは一体、何でしょう? わかりやすく言いかえれば、「真」とは、真実のことを話し、嘘偽りのないことをなし、正直な人間になって、人間本来の真の姿に立ち返ることです。「善」とは、慈悲心を持ち、人を助ける事を我が喜びとなし、進んで善行をなす事です。「忍」とは、広大無辺な心をもち、苦の中の苦に耐え、これを苦としないことです。 詳しいことは、ここでは語り切れません。是非、「転法輪」を実際に手にとられ、ひもといていただきたく存じます。「転法輪」の入手につきましては、受付やスタッフ、若しくは私でも結構ですので、是非、お気軽にお尋ね下さい。 「真・善・忍」という、この善悪の判断基準は驚くほどシンプルで、誰にでも覚えやすいものだと思います。誰にでも覚えやすいからこそ、誰でもが正しく生きる指針として、実生活に反映させることが出来ます。もしも世界中の人が、このシンプルな3つの特性にそって真に人生を生きることが出来れば、愚かな犯罪や戦争、いがみ合い、暴力、家庭崩壊など、この世の「ありとあらゆる難題」が、完全にすべて消滅するのです!そして、この宇宙の最高特性に基づいて生きる生き方、法輪功の精神を未来の子供達 に教え伝えていきさえすれば、未来は本当に輝かしいものとなるのです。難しいことはありません。ご自分のお子さんに、この転法輪を繰り返し読んで聞かせるならば、きっと素晴らしいお子さんが育つことでしょう。夫婦で共に学ぶことが出来れば、きっと今以上に思いやりあふれる円満なご家庭が築けることでしょう。家族一人一人が真に法輪功を学べば、家庭内に心の平和が訪れます。家庭内の心の平和は国家の平和の基礎であり、国の平和は世界平和の基本です。すなわち、人が真の道徳の規準「真・善・忍」の精神を持つことこそが、本当に世界平和の礎(いしづえ)となるのです。 私は、法輪功を学び、人が内面を高め、高め続けることの重要性をこの上なく再認識することが出来ました。また、自分自身、法輪功の素晴らしい教えに従うことで、急激に内面を高めることが出来たと実感しています。それは、他の何をもってしても代え難いもので、貴重極まりないものです。しかし、まだまだ自分には足りないところが数え切れないほどあり、一生をかけて学び続け、高め続けなければならないと切実に思っております。人生は自分を高め続けるための「学舎(まなびや)」です。人は堕ちに堕ち、今の様な人間に堕ちてしまいましたが、法輪功はそこから人を真に済度し、先天の高みに人を引き上げることの出来る唯一無二の大法なのです。 私は、こうした素晴らしい法輪功の精神を、自ら取り込み、教育指導にもあらゆる場面で積極的に取り入れていきたいと考えております。人類は、大人も子供も、この素晴らしい人生の指針に学び、真の道徳を回復すべきです。そうすれば、世界は本当に素晴らしいものになるからです。平和な社会は、まず私達自身、一人一人の心を平和なものにするところから始まります。そうして、初めて真の教育が出来、真の平和が本当に訪れるのです。世界は今、まさに「真・善・忍」の道徳教育を必要としています。 私自身も、先生、そして先生の教えである法輪功に従い、内に向かって、自らを一生高め続けていくことを、先生の前で、そして皆様方の前で改めてここでお誓い申し上げます。 先生、スタッフの皆様、ご来場の皆様方、本日はよき学びの場、修煉の場をお与えいただき、誠にありがとうございました。自らを高めたく存じますので、足りないところがございましたら、どうぞご指摘下さいませ。皆様に心より感謝申し上げます。 ご静聴、誠にありがとうございました。 三辻 富貴朗 2001年12月5日 |