癌の発病から話し始める:生命は真善忍を必要としている

              東京大学医学研究科博士分子細胞生物学専攻4年生 雷書紅

 

癌の現状

癌の研究に対し、各国政府も大量の資金を投じ、数多くの優秀な科学者達が一生懸命努力してきました。日本では、平成13年度現在1200名以上の教授と助教授が癌の研究に専念しています。癌の予防と治療における突破を期待されていますが、残念なことに、現代科学の発展につれて、癌の発生率は毎年増えているのが実情です。何十年以来、癌の治療についても、大きな進歩がありません。

現在、米国、カナダ、日本など科学が進んでいる国は3人の中一人が結局癌になってしまいます。良く見られる現象は、気がついた時には既に末期の癌になってしまっています。日本では、1960年代から早期発見、早期治療への努力が進められてきましたが、この間、癌が死因の第一位になり、1995年はもう3人に1人弱(26万3000人)が癌でなくなって、2015年の予想人数も60万近いと推測されました〔朝日新聞〕。1996年、アメリカで55万人は癌で死に、ヨーロッパでは85万人は癌で死んだ。韓国の統計では、1999年の癌の発病件数は8万2320件、前年より7.1%増加した。今の状況を言うと、明確に癌の診断を下されてから、五年の生存率は患者数の50%程度です。聞くと驚くべきこのような数字は科学で癌を克服する信念を失わせるのではないでしょうか?少なくとも、私立ちは現代科学の研究方法と考え方について、反省すべきだと思っています。

現代科学の発展が癌発生率増加の勢いを抑制できず、有効な治療もできない最も重要な原因は発病の原因についての現代科学の解釈は表面的な物質の変化に留まり、根本的に人間の発病機構を知らないからです。

病気に対しては現代の医学と法輪大法の異なる解釈

現在、私の博士論文のテーマは抗がん剤における固形癌の耐性の克服と関わっており、また、私は毎日、法輪大法を学び、癌に患った法輪功をやっている友達の病気が直ったのを見たことがあるため、法輪大法から少し啓発を得、自分の研究に指導作用があると考え、もっと多くの患者の苦痛を解決するのに役に立ちたいと思っています。これから、私のまだ練れていない考え方を述べ、興味のある方と一緒に討論したいと思います。

癌の発病原因から見ると、現在科学では遺伝基因DNAの変異が細胞の増殖の制御不能を起こし、癌細胞になると認められています。しかし、なぜ、現在人の遺伝基因が昔の人より、変異しやすいのですか。現代先進国では、生活水準が高まりつつありますが、推理に従うと、癌の発病の遺伝基因は昔の人よりもっと健康であり、もっと変異しにくいはずです。

法輪大法では病気に対して独特な認識があります。法輪大法によると、宇宙は多くの空間から構成されています。ここで、簡単に空間の概念を紹介します、あとでもっと具体的に説明します。現代科学で認識できる一番大きい粒子が星、すなわち天体です。ミクロ方面へ行くと、分子、原子、質子、電子があり、クオークまであります。星と分子の間、分子と原子の間など異なる粒子の間には一つの空間が構成されています。簡単に言えば、宇宙は同じ粒子の間を構成している空間と異なる粒子の間を構成している空間によって構成されています。人間も同じように、細胞と細胞や、細胞と分子や、分子と原子などが構成している空間によって構成されており、各空間の間には緊密につながっています。例えば、この空間で、手を伸ばしたり、足を上げたりすると、体内の細胞や、分子や、原子などもそれと共に動きます。すなわち、他の空間もそれと共に変化しましたが、その変化はそれ自身の独立性があります。一方、ミクロ空間での変化も我々の空間に反映されます。人間の病気は実は他の空間からの反映です。

法輪大法での病気に関する論述では、病気は業力の表現であると述べています。この業力は他の空間に存在している黒い物質であり、徳という白い物質と対応しており、人間が何回も生まれ変わった時に行った良くない行為がもたらしたものです。法輪大法の創始者、李洪志先生が彼の著作で何度も現在社会の変異に言及し、人類の末法の原因は心の法(すなわち、宇宙の精神法則)の規制を失ったため、他の空間から見ると、人間社会全体がもうもうたる業力に満たされていると指摘しました。人類の癌の発病率が高くなったのは、全体から見ると、人類の道徳観の喪失がいっそう激しくなったためであると、法輪大法の「徳」と「業」の理論から解釈できます。

『転法輪』では、“思想の世界で、従来から物質が第一か、それとも精神が第一かという問題があり、常に議論され論争されていますが、実は物質と精神は同一のものです。”と指摘しています。同時に、人間が宇宙の精神法則と合致しない行為を起こしたら、どうやって、「徳」と「業力」という全ての生命の生まれ変わりに従う物質を通じて、病気を含む人間の運命に影響を与えるかということを、李洪志先生が説明しました。ところが、現代科学の致命的な弱点は全ての生命個体(人体、細胞、たんぱく質、遺伝基因及びミクロの粒子などを含む)の精神的一面を無視し、具体的な構成だけを重視していることです。

次は“徳”と“業力”に対して法輪大法創立者の論述を見てみましょう:

“人間は他の多くの空間に、みな特定の身体をもっていますが、ある特定の空間において、人体のまわりに一つの「場」が存在しています。どんな場なのでしょうか? それはほかでもないわれわれが言う「徳」です。徳は一種の白い物質で、今まで思われていたように人間の精神的なものとか、イデオロギー的なものではなく、それはまったく物質的な存在です。”

  “同時に存在するものに、一種の黒い物質もあり、われわれはここで「業力」と呼びますが、佛教ではそれを「あくごう悪業」と呼んでいます。白い物質と黒い物質が同時に存在しています。二つの物質の間はどういう関係でしょうか? 徳という物質は、われわれが苦しみに耐えたり、打撃を受けたり、良いことをしたりして得るものです。これに対して、業力という黒い物質は悪事を働いたり、良くないことをしたり、人をいじめたりして得るものです。今の人は利益に目がくらむばかりでなく、一部の人は悪事のかぎりを尽くし、お金のためならどんな悪事でもやりかねません。人を殺すとか、金で命を買うとか、同性愛、麻薬など何でもやります。人は良くないことをする時、徳を失っていきます。どういうふうに失うのでしょうか? ある人が人を罵ったとします。うっぷんを晴らしたので、得をしたと思うかも知れません。ところがこの宇宙には、「失わないものは得られず、得るためには失わねばならぬ」という理がありますから、失いたくなくても強制的に失わせられるのです。誰がこの役割を果たすのでしょうか? ほかでもない宇宙の特性がこの役割を果たします。ですから得ることばかり考えてはいけません。どういうことでしょうか? つまり人を罵ったり、いじめたりすると、その人は自分の徳を相手に投げ与えることになります。一方、相手はいじめられ、苦しめられ、失った側なので、償いとしてそれをもらえるのです。ここで相手を罵ったとすると、罵った途端に、自分の空間場からひとかたまり一塊の徳が飛んでいって、相手の方に落ちます。”

人間の社会行為は直接この人の体の物質構造変化を影響するという論述歴史上でも初めてのことです(本当だったら、一番早く書き直すのは哲学の教科書です。“物質が第一性か、精神が第一性かの問題は哲学のもっとも基本的な問題です”。もし、物質と精神が一性になったら、現代科学において、根本的な指導作用がある哲学の教科書をて訂正しなければ、ならないでしょう)。

以下は<転法輪>から疾病においての論述です:

“人はなぜ病気になるのでしょうか? われわれの見るところでは、病気とあらゆる不幸を引き起こす根本的な原因は業力であり、あの黒い物質の業力場です。それは陰性で良くないものです。一方、良くない霊体も陰性のもので、いずれも黒に属するもので、環境が合うので、そこにやってくるのです。それは病気に罹る根本的な原因であり、病気のいちばん主要な源です。もちろん他にも二つの形式があります。一つは、ごくごく小さくて密度の非常に高い小さな霊体で、業力の固まりみたいなものです。もう一つはパイプで輸送されて来るような形で、めったに見られませんが、みな先祖からずっと積み重なってきたものです。そんな情況もあります。 最も一般的な例から説明しましょう。例えばどこかに腫瘍ができたとか、どこかに炎症が起きたとか、どこかに骨質増殖が起きたなどは、他の空間では、まさにその箇所に一つの霊体が居座っており、かなり深い空間に一つの霊体がいるのです。普通の気功師には見えず、一般の超能力でも見えず、ただ人の身体に黒い気があることだけしか見えません。”

以上の論述が正しいと仮定すれば、1人の人間は有る方法で以前積んだ業力を滅するとともに、自分の行為を規制して、体に新しい業力を造らない限り、この人は病気が罹らないと推論できます。これは正しい推論ですか?

法輪大法の科学性及び現代科学の局限性

世界中40数ヶ国、何千万人の法輪功学習者が「真、善、忍」を修煉、実践し事実で≪転法輪≫の論述が正しことを 証明しました。彼達は法輪大法の学習を通じ、自らの道徳基準を向上させ、いつでも真善忍と言う宇宙の法則で自分を律し、苦しい修煉を通じ身体の中にある黒い業力を絶えず体外へ排出し、心身ともに健康にさせています。私が知るところによれば、法輪功学習者は皆が身をもって大法を修煉した後の心身変化を体験しており、まわりの典型的な例として、望月良子さん(49才)は、法輪大法を修煉した後腸癌が完治した。祭少玲さん(34才)は紅斑性狼瘡が治った。畑山昭子さんは(62才)は関節炎が治った。李丕華さん(63才)は骨質増殖が治った。飯塚繁夫さん〔61才〕腸潰瘍が治った。このような例は数え切れない……

現代科学は研究対象に対し物質的な面しか重視せず、生物体の精神的な面を完全に見落とし、いや、実はぜんぜん考慮したこともないと言えます。多くの法輪功学習者が修煉を通じ天目で“徳”と“業”の具体的な形がはっきりと見えるようになったにもかかわらず、現在まで、現代科学の方法では“徳”と“業”の具体的な存在を証明できないため、科学界の賛同を得てない状態であり、法輪大法のその超常的な科学性もこれにより普遍的に人に受益させることができませんでした。何故ならば、人間が科学の客観性を何よりも信じ、現代科学が証明できない論理なら受けいれられることは困難であります。しかし、最も大きな問題は、現代科学の研究に関する主観性が人の仮説を事実だと見なしていることにあります。例えば、分子、原子、電子を研究する時、当然のことながら生命を持っていない粒子として、彼達の行為を彼達の属性と称しています。この考え方そのものが既に科学的とは言えません。それは、彼等が思惟を持っていない命だと証明できる人が誰もいないからです。もし、人の身体を銀河系の大きさと同じだと見なせば、人体の内部にある地球はとても小さいな微粒だと想像できます。その時、この地球上にある生物の精神世界が人類の科学者に重視され得るでしょうか?我々が認めている顆粒の物質性の面しか研究しないことは、実はより重要な部分を無視していることです。

例えば、我々皆が頭、四肢を持っており、頭に鼻一個、目2個、耳2個があり、誰でも同じです。しかし、あることに出くわす時、個人個人が対応する行為とその結果は当然違います。それは彼達の精神境地と考え方が彼達の行為を決めたからです。ですから、一人の人間に対し、彼の霊魂、すなわち彼の思想が最も重要なものなのです。現代の科学者は人間の鼻の形状、目の内部構造等などの細かい部分を如何にはっきりさせても、この人の行為を永遠に判断できません。同じ種類の蛋白質または遺伝子等をすべて同じと見ることは、人間の精神的な面を無視し、すべての人間の行為を容貌が同じであるため、思惟の持っていない同じ物質と見なすことと同様な道理であるのではないでしょうか?

個人個人が対応する行為とその結果は当然違う。それは彼達の精神境地と考え方が彼達の行為を決めたからである。それ故、一人の人間に対し、彼の霊魂、すなわち彼の思想が最も重要なものである。現代科学者は人間の鼻の形状、目の内部構造等などの細かい部分を如何にはっきりさせても、この人の行為を永遠に判断できない。同じ種類の蛋白質または遺伝子等をすべて同じく見ることは、人間の精神的な面を無視し、すべての人間の行為を容貌が同じであるため、思惟を持っていない同じ物質と見なすこととは同様な道理であるのではないでしょうか?

一人の人間としては、その人の道徳水準で彼の社会行為が決まり、逆に自分自身の運命にも影響をもたらします。例をあげましょう:町でいじめに会ったとき、もし同じように争ったら、命を失うまで至るかもしれません。でも、もし相手の立場から考えたら、人をいじめる人はなんらかの辛さに落ち込んでいるかもしれません、自分の一時の衝動で争ったら、危ないことに遭うかもしれません、我慢してしまえばすむかもしれません。本当の法輪功学習者であれば、気にせず淡々とした一笑で終わらせるでしょう。

人体の細胞、たんぱく質、DNA等のその周囲の環境は人類社会の如く、常に新陳代謝を行い、一つひとつの細胞は自らの環境においてほかの細胞とお互いの協調を取り、役割を果たしています。人体のガン細胞は人体の防疫系統より強くならないと人体のなかで大量繁殖はできません。普通の人間は30歳過ぎてから、毎日、体内で万個以上のガン細胞が体内の防疫系統の働きで消滅されます。もしガン細胞の成長の数が上回ったら、人体は全面崩壊になり、死亡することになります。

私達社会のことも同じで、ひとつの国家の消滅、更新は、大体その国家内部と外部の色々な社会圧力が激化し、そのあと戦争という武力手段等で大きい変化が行われます。

例えば、アメリカ911テロ事件のために、タリバン政権は全面崩壊になるかもしれません、このテロ事件が起こらなければ、タリバン政権はこの境地に落ちなかったかもしれません。私達はアメリカの攻撃を批難できません、ビンラディン氏の邪悪テロ活動で自らの民族に災難を招きました。もし私達が特殊部隊は如何にタリバン政権を攻撃したのか、爆弾は如何にタリバン基地を破壊したのか、いかなる戦争の詳細記録があるのかばかり研究しても、この戦争が起きた根本的な原因、将来に残る貴重の教訓を明らかすることはできません。まさに現在のガン細胞の研究に如く、ある具体的な細部はどんなにわかっていても、考えるの基点を間違えれば、からだ全体としてのガン細胞生の環境ことが見えず、ガン細胞のはびこる原因を見過ごしてしまいます。

人間のガン細胞等の環境そのものは、法輪大法が教えてくださった「業力」の場であることが分かりました。中国の陰陽学説はとても理に適っています。私の理解では陰陽は生物内の各種お互いのバランスです、法輪大法では、「業力」の場は陰性であり、病気の原因はこの陰性の場を好む霊体がその場・・・人体に住み着いてるからです。「業力」と「徳」は人の各生涯の輪廻につきまとい、その人の人生のあらゆるの災難、幸せを決めます、これは「真・善・忍」という宇宙法則の人類社会におけるひとつの表れです。それゆえに、昔の人は「徳を積む」と言っていたのです。

 

以上の説明により、道徳観念を失うことにより国家としては政権の交代、人間としては各種の病気と苦痛の訪れとなります。反対に、「真・善・忍」との同化により国家の安定となり、人間には新しい活力が注がれます。

宇宙の空間に対しての理解によって法輪大法の科学性を実証します

私は、幼い頃から無神論の教育を受けたため、神の存在を信じませんでした。法輪大法の修煉によって、私の人生観、宇宙観と科学観が180度転換されました。科学と法輪大法に対しての検討は、科学と法輪大法の間に矛盾があるわけではない、と私に認識させました。法輪大法は、現代医学とまったく違うシステムと違う方法で、病気のことを解釈していますが、現代医学の解釈は、物質空間の範囲に限られているので、限界性があるわけです。科学的な客観性をもって物事を見れば、法輪大法は正真正銘の超越的な科学であると思います。 

次に、現代科学知識を通じて、宇宙空間の理解をここで述べたいと思います。私は、もっと多くの人が法輪大法に恵まれるために、上に述べた他の空間に存在しうる「徳」と「業」に基づいて、如何に現代科学の方法で天国と別の空間の存在を実証するか、ということを常に念頭においています。今の段階で、私は、できる限り、喩えの形で他の空間の存在と私の宇宙空間に対しての理解を語ります。

人の大腸の中に生存している大腸桿菌の立場で見れば、彼は、彼と似ている生命体は生命として扱います。彼らにとって、人間の生存方式は、どうしても、想像を超えるものです。人の大腸はただ人体の一部でしかありません。従って、我々の生存している地球は、ただ他の高級生命体の一つの細胞でしかしかないでしょう。ただ生命体の存在方式の違いによって、大腸桿菌の思惟の空間は人の思惟の空間と完全に異なっています。

空間という言葉は、文字通り、非常に科学的で、隙間と間ということです。違う空間は、異なる大きさの物質の間。我々は、太陽と地球の間に生存しています。我々は、これは想像つかないほど大きいと思いますが、もし太陽と地球を比率的に原子のような大きさで縮小すると、電子と原子核の間の距離と隙間は、我々は体験した太陽の大きさと同じようになります。ただミクロ空間になるに過ぎません。マクロ世界はミクロ世界から構成されているので、違う空間は同時に同じところで存在しているわけです。宇宙にどれほどの大きさの微粒子が存在すると、それほど違う空間が存在しているわけです。違う空間は、違う宇宙の次元と違う次元のエネルギーに相応しています。太陽系の各天体の生命体は同じ次元の空間に存在しています。ただ体の構成の違いによって、お互いに見えないだけで、実際は、それぞれ違う空間に存在しています。

例えば、もし我々が、たくさんの卓球の球からなっているバスケットボールのボールをグランドに置けば、我々見たのは、いっぱいバスケットボールのボールを詰めたグランドの風景しか見えません。もし我々の目が、卓球の球しか見えず、バスケットボールのボールが見えなかったら、我々に見えた風景とバスケットボールのボールしか見えない人が見えたものは、違うわけでしょう。この意味で、全体が卓球の球から構成されている風景は、他の空間の風景だとも言えないでしょうか。

従って、他の天体に生命体があって、宇宙人と呼ばれる存在は極めて可能でしょう。人間の肉眼は、可視光線を使って物を見ます。これらの光波は、400から800オングストローム﹐400オングストロームより短い波長は紫外(1-400オングストローム)﹐X線(波長10-3-1オングストローム)﹐r線(<10-3オングストローム)の光子はエネルギーはもっと強くて、貫通力ももっと増強されています。しかし、人間の肉眼はこれらの光波を見えないので、利用もできません。波長のもっと長い赤外線(1マイクロメートル-1ミリメートル)﹐ マイクロ波(1ミリメートル-1メートル)﹐及び無線電波(>1メートル)も、人間の目で見えません。人類の視野はこんな狭い区域に限られています。いわば、現代科学の知っている範囲の1015の一に過ぎないので、実はかなり限られています。科学はすでにこの段階まで進んだので、他の光波の区域の存在は疑いの余地がないわけです。人類が実証かつ利用しているこれらの光波は、即ち電磁波です。多くの人々は、他の空間にいる高級生命体の存在を信じず、迷信だと思いますが、これは、現代の科学は、他の空間の存在を実証する方法がないにすぎないわけです。しかし、この辺は、まさに人類は突破すべきところですが、今まだ突破していなく, 誤っているところなのでしょう。我々の肉眼は、400オングストロームから800オングストロームの長さの可視光線しか利用できません。物が見えるのは、その物の構成する粒子の大きさが、可視光線を反射、屈折、あるいは吸収できる範囲であれば、人の網膜で映像を形成できるのです。もし我々が、自分の思惟を広げて、こんな狭い可視光線の範囲を突破し、エックス線の目でこの世界を見ると、我々に見える風景は、もっとミクロな空間の風景でしょう。仏さま、神さまの体はx線みたいの微粒子から備えているかもしれませんので、普通の人間の目で見えないのです。

これによって、法輪大法の他の空間についての説は、決しておとぎ話ではなく、真実の存在です。実は、この点は、多くの法輪功学習者の不思議な体験によって実証されました。

上に述べたことによって、生命と宇宙の本質を探究することを人生の楽しみとする方々に、自分の努力によって身心の健康をもたらしたい方々に、私はここで、厳かに法輪大法の最も重要なテキストの『轉法輪』を薦めたいと思います。次は、『轉法輪』の序文の一部を私の発言の締めくくりとして、この発言を終わらせていただきます。

“「佛法」はこの上なく奥深いものであり、世のあらゆる学説中、最も玄妙かつ超常的な科学です。この領域を切り開くには、常人の認識を根底から変えなければなりません。さもなければ、宇宙の真相は人類にとって永遠に神話のままであり、常人は己の愚かな所見に限定された枠の中で永遠に這いまわるしかありません。”

“「佛法」は粒子や分子から宇宙まで、最も小さいものから最も大きいものまですべての奥義についての洞察であり、それに含まれないもの、漏れるものも何一つとしてありません。それは宇宙の特性「真・善・忍」の異なった次元での異なった表現であり、道家の言う「道」、佛家の言う「法」も、すなわちこれにほかなりません。 ”

“もし人類が、自分自身や宇宙についての認識を改め、硬直した考え方を変えることができるならば、人類は大きな飛躍を迎えられるに違いありません。”