観念が転じれば、堕落した物は滅ぶ

基点の境界
 あるロシアの大法弟子は体験談の中で、自分を常人ではなく、大法粒子として見る時、一つの変化が生じたと話した:即ち以前は子供の面倒を見ながら、ついでに弘法(大法を弘めること)したが、今は弘法する時ついでに子供の面倒を見ている。

 “事”は同じ“事”であっても、基点が違った。この一念の根本的転化は完全に異なる境地であり、異なる結果である。

 根本的に言えば、我々の修煉は最終的に人から神への転化を遂げることであり、一切の人の観念を放下し、人の観念、人の思想を転化させ、昇華していくことである。師父はこうおっしゃいました:“物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある”(《転法輪》)。なぜなのか?この一念はあなたが何を求め、どの境地にいるのかを決めるからである。この一念はあなたの手足を指揮するのか、それとも功能を指揮するのかをも決めてしまう。

 法を正し、真相を教える現在の情況に照らして、私はいつも自分に問い掛けている:私の一念は本当に純粋なものだろうか、本当に“無私”(家、団体、或いはさらに大きな団体を離れているか)、“無我”(自己からはなれているか)だろうか。社会、マスコミ、一般大衆或いは政府役員に接している時、彼らを救い、済度する立場に立っているだろうか。表面上我々は法輪功を話し、中国政府の残酷な迫害を話すが、我々の“緊急救援”は最終的に誰を救援するだろうか?もちろん真相を聞いてくれた人々である。我々は根本的なところ、衆生を救い、済度する基点に立っているだろうか。この一念があって、法を正す洪大な流れは凄まじい勢いで一層一層の障碍を突破し、念が至れば事がうまく運び、誰も阻止できないことを感じた。

正念と功能
 これは二ヶ月ぶりの国会訪問である。前回の種々の紆余曲折も有って(“佛光普く照らす”という文章を参照)、今回は非常にはっきりした意識を持っている:私達はまた来た、法輪大法の真相を伝えにもう一度来た、どうか大切にしてください、と。私達は予め協力しあい、十分な準備をしてから、一行六人が二手に分かれた。今回私の重点は二つの事務室である。一番目の事務室:主管は過去二年間数回大法弟子と会ったが、毎回嘲笑する態度で私達に接し、如何なる真相にも耳を傾けようとせず、逆に長々と文句を言い、送ってきた資料が多すぎたとか、訪問の回数が多すぎたとか、等などであった。彼を知ってから二年余りだが、何回も反省した結果、過去の自分に漏れがあり(“求める心”、“怒らせてはいけない心配”)、根本的に法を堅く守ることができず、彼の不正を放任したことに原因があるのではないか。だから、家にいる時から、正念を発し、同時にすべての不正を正す使命を感じ、彼に真相を伝え、慈悲を与える必要を感じた。二番目の事務室も非常に特別である。主管は大分前に会ったことがあり、私達の紹介を聞いた最初、法輪功の境遇に非常に同情し、私達を本当に助けようとし、切実な提案もしてくれた。ところが、一年後の二ヶ月前、彼女に再度会った時、態度が完全に変わり、非常に乱暴であり、しかも“この議題は私達と関係ない!”と言った。当時私は悲しく、ずっと機会を探して仲間に彼女と話させ、どういうものが彼女を阻害したのかを突き止めたかった。

 私達一行が予約に従い、一番目の事務室、つまりメッセージを全然議員に伝えていないところへ行った。事前に数日前に準備した話を練習しておいた。簡単に言えば、彼にこう言いたい:私達は税金を納める者として、議員に陳情する権利があり、あなたは職業道徳を守り、情報を伝達する責任がある。二年間の残酷な迫害にも関わらず、法輪功はつぶされなかった。なぜなら、私たちは正義が必ず勝つと固く信じ、法輪功学習者は生命をもって“真、善、忍”を守り、自分のためではなく、人類の最も尊い尊厳と価値を守っているから。従って、あなたは議員に人道的選択をしてもらうべきである。法輪功は尊敬に値するものであり、嘲笑されるべきではない。毒蛇が善良な人を襲う時、毒蛇を制止するのか、それとも善良な人を笑うのか?

 私達は道すがら正念を発し、事務室に入って彼を待っている時でも引き続き発した。こちらまだ口を開いていないのに、彼から先に今回はやるよ、待っておいて、今しているからと言い出した。まだ座っていないうちに、左のドアが開き、一人の満面笑顔の方が近づいてきて、私達と握手し、自己紹介した:私は国会議員某氏である。私たちは法輪功が何であるかという紹介から始まり、二年以来の迫害、藤春燕を釈放する必要性、十数回彼らの管轄区に行って講習班を開いて歓迎を受けた情況、特にこの二年余りで多くの国会議員が非常に支持してくれたことを話した。議員は真剣に耳を傾け、少なくとも三回疑問の目つきでその助手を見た:どうして私は知らないだろう。議員は最後に自ら資料を受け取り、二回私達と握手し、別れを告げた。その日国会が非常に忙しく、予約がなかったにも関わらず、議員は自ら私達に自己紹介し、耳を傾けてくれたのである。私たちは本当に正念を発する作用を体感し、法がこの世を正すこの時期、物分りのいい人間の別の一面は決してこの機会を逃そうとしないことを感じた。

 二番目の事務室への訪問も奇跡に近いと言える。目下国会は“戦争”のことで手が回らず、またその事務室は経済、貿易に主眼を置いていることを理由にずっと法輪功に対して態度をはっきり示さなかったし、且つ助手は二ヶ月前に態度が異常であったのに、一人の弟子はなんと電話を通して議員に直接会う機会を獲得したのである。

 私たちは予約の時間に議員本人に会うことができた。厳粛で、主観的な議員であることが一目でわかった。彼は私達に問題を次から次へと提起し、もうそれ以上回避せず、私達を知りたいと説明した。質問を終えた後、私達が送ってきた資料をもう一度読み、助手とも相談してから決めると言った。当時彼の二人の助手も現場におり、非常に厳粛な場面であった。終了してから、私は以前法輪功に同情し、その後態度を変えた助手のところへ歩み、“今回わざわざあなたのために法輪大法音楽のディスクを持ってきた、収めて下さい。なぜなら、法輪功は生命に無限の美しさ、調和をもたらすことができるからである。迫害されるのは法輪功のすべてではなく、音楽の側面から法輪功をもう一度理解してもらいたいと思う”。彼女は感動し、最初に会った時と同じようになった。もう一人の助手も私達に電話番号を聞き、法輪功を学びたいと言った。

 以前私達の紹介をまじめに聞いてくれなかった多くの事務室でも今回変化が見られ、特に以前全然態度をはっきりしなかった事務室ではそうである。私たちはどこまで歩いても正念を発し、ロビーであれ、エレベータであれ、或いは事務室であろうと。しばしば一人が話し、他の二人は正念を発した。私たちは正念の強大さ、応用自在を確かに感じとり、同時に正法の洪大で凄まじい勢いを自ら体験し(私達のグループだけでなく、別のグループも似た体験を持つ)、もう以前のよう梨のつぶての応対ではなくなった。この時、大法を前にして、誰しもが自分の選択を選ばなければならない。私達の使命はまさに彼に真相を伝え、最善を尽くして救いがいのある生命を救うことであり、過程が重要であり、結果は彼次第である。

 自分の観念が一旦転じると、環境がすぐ変わることを再び体験できた。“助けを求める”、“同情を求める”のではなく、助けを与え、機会を与えるのである。

 また、永遠に正法のことを常人の項目として、“専任”でやってはいけない。なぜなら、人と人の間では、異なる縁があるからである。ある事務室には私が何回も足を運んだが、全然効果がなかった。今回別の弟子が行って、四十分間も話しができ、しかも積極的に私達のために提案をしてくれた。師父が“観念が転じれば、堕落した物は滅ぶ”(《洪吟》“新生”)と教えたように、私達が精進して法を学び、絶えず常人の観念を突破すれば、邪悪、腐敗堕落した旧勢力が自ら滅ぶに違いない。絶えず“私”、“我”を突破すれば、境地が自然に昇華し、容量が絶えず拡大し、真に純粋な心の下で法を正し、衆生を救い、済度することができるのである。

正法弟子