実体験から大法を認識する
【明慧ネット】私が法輪大法を修煉し始めてからすでに4年目になります。修煉の過程を振り返ると、全てがありありと目に浮かんできます。
98年2月、その時私は北京にいました。修練すれば健康になると、両親が私に法輪功を紹介してくれました。法輪功の本を読んでみると、すぐにこれが正しいものであると感じました。“真、善、忍”が宇宙の特性であると本にあります。本を読んだ後、どうしてこれを思いつかなかったのだろうかと自問したこともあります。
そのとき、私は無神論者でしたが、科学に対して疑念を抱いていました。世界には、科学で説明できないたくさんの神秘現象があるからです。科学の限界は感じていましたが、法輪功に関して分からないところも多くありました。例えば《転法輪》の中の“憑き物”や“玄関″などについては、さっぱり分かりませんでした。
当時、「梨の味が知りたければ、自ら味わってみるべきだ」と考え、試してみることにしました。「いい人になれる方法を教えてもらえるなら、それだけで騙されるということにはならない。」と考え、私は《転法輪》を読んでみることにしました。
初めて《転法輪》を読む時、6日間かかりました。
第二講の天目の部分を読んでいる時に不思議な事が起こりました:誰かが強い力で私の額を押しているのをはっきり感じました。手のひらもすごく熱くなってきました。部屋には私ひとりしかいませんでした。周囲を捜しても、静かな部屋には私以外は誰もいませんでした。この本は普通の本ではないと思いました。私は、李先生に一度もお会いしたことはないが、なぜ、李先生は私がここで本を読んでいるのをご存知であり、しかも私の天目を開いて下さったのでしょうか?このことがあって、私は試してみようという決意が固くなりました。しかし私は「天目」について、やはり理解できませんでした。これは初めて天目の概念を知ったときのことです。
その後、私の友達から借りた医学の本の中に天目についての文章があったのを見つけ、法輪大法が超常的な科学だと思い始めました。
それは、私は毎日両親に動作を教えてもらいたときのことです。初めて「頭前抱輪」をするとひとつの氷を抱いているように寒かったのです。「腹前抱輪」をするとあつい綿の塊を抱いているように気持ちよく、強いエネルギーを感じました。実体験から私はますます大法の超常性を感じ、ますます興味も湧いてきました。
その後のある日、私はブックセンターにコンピューターの本を買いに行った時、ある本をじっと読んでいると、突然手のひらになにかが回転しているのを感じました。そう!法輪だ!本当に回転している!本当に不思議な感覚でした。それから数日間、私の全身に法輪が回転していました。鼻のうえ、頭のうえ、身の上、足の上、あちこちにありました。法輪は、大きいものと小さいものがあります。抱輪すると大法輪が腕の中に回転しています。その時期、私はたいへん興奮していました。
もう一回《転法輪》を開いて、私の世界観は徹底的に変わりました。私が無神論者から有神論者に変わって、なぜ科学で説明できない神秘現象がこれほど多くあるかのも理解できるようになりました。これらの現象は科学を超えて、もっと高い次元の理で説明しなげればならないものだからです。私は道徳の重要性も分かりました。大法と出会う前、私は常に生きていることの意味を考えていました。どんなに金があっても、どんなに有名になっても、結局年を取ると死んでしまいます。では、生きる意味は何でしょうか?一生にあくせくと働いて最後は死んでしまいます。私はいままで順調に生きてきました。しかし、社会に入って、人間が利己的なものであると痛感し、自分自身もその流れに身を任せるような生き方をしてきました。このような生活に何の意味があるのでしょうか?時々人生に飽きた気がすることさえありました。大法と出会ってから、自殺は有罪であることを理解しました。
人間は悪くなってからここに落ちたわけですから、生きている間は苦労をして業力を消去しなげればなりません。ですから私が厭世的な考えを捨てて一生懸命に修煉して、早く「返本帰真」できるようにと願っています。
この3年間、私は一度も病気になったことはありません。インフルエンザにかかったこともありません。これは本当に不思議です。3年前、私は病気にかかりやすく、どんなに注意をしても駄目でした。現在はいくら天気が悪くても風邪も引きません。これは私にとって奇跡です。
法輪大法と出会えて本当によかったです。私は、中国政府が法輪功を弾圧することが理解できません。私にとって人生の意義は正法を修煉するところにあります。
2001年6月10日北美学員