初めての大法神奇の体験

2001年6月8日 文/オーストラリア,新弟子

【明慧ネット】私が初めて法輪功(法輪大法とも言う)を知ったは1999年のことでした。その時、新聞で1万名以上の法輪功修煉者が中国国務院の待合室に行って、請願をしたというニュースを読んで、とても驚きました。以前、中国ではこんな事など絶対ありえなかったからです。普通公民はいつも政府の言うとおりに行動しますが、今度は何故こんなことをしたのでしょうか?しかし、どうしても公民のやったことには必ずその道理があると思いました。続いて、中国各地の法輪功修煉者は煉功しているうちに、警察や政府役員に邪魔されたりすることが見えました。その後、法輪功は江沢民政府に迫害されたり、非難されたりして、全国範囲で弾圧されました。それから、修煉者達は北京に行って、真実を政府に伝え、そのため多くの人々は警察に逮捕され、牢屋に監禁され、拷問、労働教養、刑罰まで受けさせられました。もっと酷いのは一部の修煉者が死ぬまで拷問されました。しかし、これらの修煉者は唯一の目的は自分の信念を守るだけです。私はこのことをどうしても理解できませんでした。

 何故、これらの人々は仕事を失ったり、家を離れたりし、そして自分の命が奪われる可能性があるのに、政府と世間の人々に真実を伝えようとしたのでしょうか?法輪功は何故人々にこのような精神を与え、このような巨大な力を持っているのでしょうか?もし、事実が自分の目の前に現れなければ、わたしはどうしても今日の世界ではこのようなことがあると信じられません。このような不思議のことにたいして私は答えを早く見つけたいと思いました。そこで、《転法輪》を一冊入手し、その根拠を探して見ようとしました。

 私は初めて《転法輪》を読んだ時、心にはいままでなかった平静がありました。法輪功修煉者と一緒に座って、初めて祥和な心境を感じました。そして、このような心境は翌日の正午まで続きました。《転法輪》の勉強を通じて、わたしは人間とこの世の中にある万事万物がどんな事なのかがだんだんわかるようになってきました。自分の以前やった多くのことと現実の色々なことに拘るのはなぜそんなに可笑しいのだろうかということを感じました。心はますます大法に融け入りました。私には忍ができ、執着を捨て、常人の細かなことのために怒ることはありませんでした。

 しかし、私はタバコを吸う問題に遇いました。以前、精神的な苦悶の生活をずっと送り、孤独、寂しさは常に私に絡みました。自分の将来、自分の希望が見えない時、タバコを吸うことが私の唯一の解脱方法でした。タバコを吸うことは何十年も続けました。わたしはタバコが好きで、タバコが人間に大きなメリットをもたらせると思いました。そうでなければ、何故喫煙はガンを起こしやすいことを知っているのに、毎日、大勢の人たちがそれを考えずにタバコを吸うのでしょうか?私はタバコを止めたくないですし、タバコを止められることなど信じませんでした。しかし、奇跡は確実に出ました。李洪志先生は《転法輪》ではタバコを止めることについてこのように教えていました:"皆さんに忠告しますが、真に修煉したい者は今からタバコをやめてください。必ずやめられることを保証します。この講習会の会場にタバコを吸いたいと思う人は誰もいないでしょう。そのようにあなたはやめたければ必ずやめられます。再びタバコを口にすれば、変な味がするにきまっています。この本を読む人でも、この部分を読めば同じ作用があります。もちろん修煉したくなければ、われわれは面倒を見ませんが、修煉者としてはやめるべきだと思います。"

 この章を読み終わってから、再び喫煙すると、本当に変な味がしました。私はひそかに驚き、法輪大法は本当に素晴らしいと感じました。しかし、わたしはやはり自分がタバコを止められることを信じられず、それを続けました。この時タバコを吸って変な味がしても、やっぱり以前タバコが自分にもたらした気持ちのいい感じを探していました。しかし、そんな感じは再び戻りませんでした。そして、タバコを吸う頻度が明らかに少なくなりました。ある日のことでした。一人の修煉者と交流した時、自分がまたタバコを止めていないことを彼女に言いました。彼女は厳しく私に言いました:"あなたはその程度の決心もなくて、今後どのように修練するというのですか?"この言葉は私に大きな震動を起こしました。私はもう一度《転法輪》でタバコを止める節を読みました。李先生はこう教えていました:"悪いと知りながらやめることができない人がいます。それは正しい考えに導かれていないために、簡単にはやめられません。一人の修煉者として、あなたは今日から、それを執着心として捨ててみてください。やめられるかどうかを試してみてください。"

 ここから、私は喫煙をしたくなる度に、執着心として取り扱うと、いつも簡単に済みました。喫煙をしたくなくなるまでやりました。振り返ってみると、喫煙の歴史は何十年もあり、止めようと言ったらすぐ止められるなど、とんでもないことです。自分が心から修煉したら、ほんの少しの決心をあわせて、喫煙を止めるのは難しいことではありません。

 修煉の長い道では喫煙を止めるのは小さなことですが、私にとっては大法神奇の初めての体験でした。