経済学者が「転法輪」を通読した体験
1995年の正月舅と姑の家に新年の挨拶に行き、思いかけず「転法輪」と出会いました。私には読書の趣味があって、自然にそれを読んでいました。知らず知らずのうちに「転法輪」に惹きつけられました。その後私は修煉の光明に満ちた道を歩み始めました。
私は他の真の弟子と同じように、法を学ぶ中で自己を修めており、だんだん茫漠の中に光明、前途、希望が見えてきました。人生や宇宙に対して新たな認識が生まれました。苦を楽しみとする修煉中や大法のための仕事中に自分が昇華していると感じ、人生において今までなかった楽しみや満足を味わっています。
修煉開始後まもなく、大法の威力を身をもって感じ、体験しました。例えば、ある一定空間内の法輪を見たことです。最初に、わずか何個、何十個しか見えなかったのが、その後数え切れないほど多く見えるようになってきました。法輪は動いたり、跳躍したりしていて、異なった空間に分布しています。李先生の写真も変化し始め、平面から立体へ。先生の後ろの光環はもはや静止しておらず、大きさも絶えず変化していて、光環に燦燦と輝いた金色の光が溢れており、巨大なエネルギーを放っています。法輪図案の色も絶えず変化しており、変化後の色は透明で、すばらしく、透き通った美しさが沁み渡っています。
私が研究している経済理論は現在世界をリードしています。仕事の関係で、世界中でたくさんの有名な経済学者、例えば、アメリカのハーバード大学学長サックス博士、ノーベル経済学賞受賞者クライン教授などと知りあいました。しかしいくら我々が研究している経済学理論が一流であるといっても、「転法輪」の法理と同列に論じる訳にはいきません。
第一、それらの経済理論は一回、二回読んでしまうと、もう新しさが見出せなくなります。こうした経済理論はただ低い次元の理であり、つまり人類この次元のものに過ぎません。一方、「転法輪」が述べたのは宇宙の法理であり、極めて深い内包を含み、読む度に新しい体得が得られ、新しいものが感じられ、何回見ても飽きず、一回読むと、それに応じた収穫があり、それに応じた高まりがあります。
第二、それらの経済理論に含まれた理は往々局部的、一方的、一時的な理です。つまり、それらの理はある時期、ある地域には有効的でしょうが、他の時期、他の地域に大しては必ずしも有効的でなくなります。例えば、サックス博士のある経済管理方法は中米のある国においてよく効果を上げたかも知れませんが、中国にそれを適用しても、効果はないでしょう。一方、「転法輪」に含まれた理は宇宙的法理です。私はどんな時でも、事柄の大小にもかかわらず、先生が説いた法ほど正しいものがあるだろうかと感じます。宇宙の法は恒久的、最も奥深いものなのです。
「転法輪」は人類歴史上初めて宇宙の法理を開き、宇宙の大法を詳細に述べ、常人が高い次元への修煉において通らなければならない道を論証する、天の本です。