刑務所で、私は佛法と巡り合った
私は十歳の時、学校をやめ、十五歳の時強盗で少年院に入ったが、十七歳の時また強盗で一年半の牢屋生活を送った。十九歳の時同じ犯行で十年間求役され、一九九六年に釈放された。一九九九年また強盗をしたため十五日間拘束され、拘束期間中脱走し、十日間後再び捕まられ、拘留所に返された後、法輪功の人と一緒に拘束されていた。当時、ちょうど法輪功は邪説とされ、盛んに批判されていた時期だった。私はいったいどのような邪なものなのか、私より悪い人達なのかと、彼らに興味を持ちはじめた。しかし、意外に彼らの中に工場の労働者、農民もいれば、国家役所に勤めている人や医者もいる。北京に上申しに行ったり公園で煉功したりしただけで、捕まえられた。彼らは強盗の常習犯の私を軽視することもなく、かえって、いい人になり、ものを盗むような悪事をもうしないようにと教えてくれた。また、彼らは警察に殴られても、罵られても、依然として善意をもって、相手を恨むような言動もなく、警察にいい人になるための道理を説いたりしていた。これを見て、私は驚いて、困惑してしまった。テレビでは法輪功が如何に悪いものかを宣伝しているが、どうして法輪功からこんなに多くのよい人が現れてきたのだろうか。しかし、事実を前にし、彼らがいい人だと認めざるを得ませんでした。
この十数年に私は多くの悪事を働いたから、今日の境地に至った。もし法輪功を習って、彼らのようなよい人になれれば、どんな素晴らしいことだろう。私は法輪功修煉者達に自分の考えを告げた。彼らから『転法輪』という本をもらい、読み終わった後、夜眠れなくなった。十数年の強盗生活を思い出した。私は多分農民の一年間の収入を盗んだ。多分誰かの親の医療費を盗んだ。私は多くの許せない悪事をしてしまった。小さい頃、よく近所の人からいい子だと誉められたが、社会の利己的な観念及び金銭への追求に振り回され、罪悪の路に走ってしまった。刑務所で教育も受け、警察からもよく説教されたが、何も変わらなかった。刑務所を出ると、再び手を出してしまう。
『転法輪』を読んで、人類社会の法律や規則が表面的に人を変えることしかできず、佛法だけが人の心を変え、人々に善を向かわせることができると分かった。私はなんと幸運な人であろう。刑務所で私は佛法と出会った。これから、私は正々堂々たるよい人になると決心した。
このように思うと、すぐ李洪志先生の光輝き法身が見えた。李先生は既に見守ってくれた。思わず涙が出て、本当に感激した。私のような汚れた人に対しても、このような汚い環境であっても、見守ってくださった。これからは多く法を勉強し、修煉に専念し、一人のそして文字道理の大法の弟子になりたい。
その後、私は錦州更生院に移転されたが、法輪功の人と一緒に修煉できなくなるのではないかと心配した。しかし、新しいところでまた多くの修煉者と会った。私はすぐに分かった。法輪大法は世間の隅々まで広げ、全ての真に修煉し善を目指している人々に機会を与えているのである。
修煉して、既に三ヶ月立ったが、拘留所でも、強制労働所でも、犯人でも、警官でも皆法輪大法の修煉者がいい人だと分かっている。彼らは偉大な正法修煉者の行動が多くの善良な人々を励まし、人々に縁をもたらしている。
(一九九九年十二月十九日 中国遼寧省錦州更生院)