何故、貴方達は手元の棒を持ち挙げたの?何故、そんなに凶暴、残虐なのでしょうか?
―――残酷な殺され方をされた法輪大法修煉者陳子秀さんの娘さんが罪人へ出した公開状
劉さん、ケさん:
私は陳子秀の娘、張学玲と言います。"陳子秀"を未だ覚えているでしょう。今年のお正月過ぎ、貴方達の凶暴な棒の下で死んだ年取った女性です。あれから、私は貴方達に合って話しをしたいとずっと思っていたのですが、誤解されるかもしれないので、先に手紙を書いた方が良いでしょうと思いペンを取りました。ペンを持ち上げると、思わず母のことが浮かび上がり、なかなか気分が落ち着かず、涙が雨のように落ちて来ました。
母は2000年1月3日、58才の誕生日が過ぎたばかりでした。年齢から言えば、貴方達二人の先輩とも言えます。彼女の健康状況は良く、後20年以上生きて行けると思いました。貴方達二人が私と同じように、人の子供であり、人の父母であります。ですから私の家族全員が肉親を失った悲しみ、胸中にたぎる憎しみをよく分かるのではないでしょうか。私は4月17日、警察に逮捕されました。貴方達は何事も無かった様に暮らし、その上、表彰もされました。あの日、同じ方法、そしてもっと凶暴な方法で母の仇を討とうと考えました。
貴方達並びに貴方達が力を尽くしている勢力は人間性が全く無く、法律的なことも全く考慮していないと分かっています。しかし、私は法律という手段で解決したほうがよいと考えているですが、私のその希望は善良な面の以外には、何を説明したのでしょうか。
禽獣は自分の生存のため殺し合い、弱肉強食が動物の本性であり、それが自然の法則である。人間は動物と違って、人間道徳の制約を持っています。又法律制度のある国家の中では、法律の制約に従うべきで、人間が道徳を持っていることこそ人間社会が美しくなります。親情があり、真情があり、年上の人が年下の人を可愛がり、年下の人が年上の人を尊敬します。お互いに助け合い、正義、善良が尊敬され、邪悪、犯罪が処罰されます。
しかし、貴方達は?善を打撃し、悪を正当化している!道徳を踏み躙っている!けだものにも劣る行い!人類社会をどこへ導くつもりですか?彼女が貴方達にひどく殴られた時の表情と呻吟を未だ覚えていますか?彼女がなくなる前、3日間の間に彼女はどうのような肉体的苦痛と心の苦しみに耐えていたのでしょう?彼女は恨みもなく、1分、一秒の苦しみを嘗めていました。ケさん、彼女は一人の母であり、一人の老人であり、一人の善良な、正義を持っている人であり、不遇な一生ですが楽観的な一人の人間でした。彼女は皆に尊敬されるべきなのに、2000年に入った民主主義の中国に殺され、貴方達、そして政府の役員組織に殺されました。罪悪な手、むごたらしくて見られない!千古の奇聞、千古の冤罪!信じられない!
母は綺麗でした。写真館に掛けられた母の若い時の写真から、母の笑顔を常に見られます。こんなに綺麗な母がいて、常に誇りに思いました。母は自分が貧乏にもかかわらず全然知らない人に施与をしました。食事中に、住居の事で尋ねて来る人がいれば、母はいつも直ぐに食器を置き、人を連れて村中を案内しました。母は壮健だったなのに、命の代価を払って真理を追求しました。私は冤罪を晴らそうとしても無駄だと分かっていましたがあちこち駆け回りました。母は自分の行為で憤怒、憎しみと敵視から遠ざけようと我々に教えています。
母の一生は不遇な一生でした。彼女の婚姻生活は只14年間でした。37才の時に父が肝臓癌にかかりました。末期の不治の病と分かり、遠方に出かけた事が全くなかった母は、祖母、私と兄に隠して、診察を受けるためあちこち駆け回っていました。父がなくなるまで母はずっと昼夜もなく父を看護していました。百日後、今度は実母を失いました。あの頃、母は未だ38才、兄は13才、私は11才でした。暮らしに困り、無知である子供達をかかえ、あの時彼女には本当の助け、慰めることが出来る人は一人もいませんでした。中年の母は寡婦では苦難が多いと言う言葉の意味を始めて体験しました。当時、兄は家庭の揉め事で悪口を言って母を中傷したこともありました。2年間の間に"お母さん"と一言も呼ばず、母とも会わず、ずっと別居していました。常に、母は心が痛み、このような味わいを何人の人が体験できるのでしょうか?あれらの家は母と私、二人で月光の下であちこち煉瓦を拾って建てたもの。未だあんまり機械化されていなかった農村で、男性のいない一つの家庭では、急に降ってきたどしゃ降りの雨は母に畑の小麦の中で大声で泣き叫ばせました。彼女が耐えた精神上、身体上の困難はあまりにも多すぎ、報えません。今は直面することさえも出来なくなりました。
今、私はただ真理を実証し、良知を呼び覚まし、正義を呼びかけようとしています。貴方達は未だ人間性があるかどうか、私は知りません。もしかしたら懺悔と罪を感じているかもしれません。命の暦程の中では罪悪に懲罰を掛ける日がきっといつか来るでしょう。歴史はもっとも公平な判断を下すでしょう。真実が見える日もいつか来るでしょう。実際のところ、私も貴方達と同じように政府を信じ、政府の立場から考えて法輪功を誤解しました。私はかつて母を教育し、法輪功の思想を反駁しました。ですが、母の死は私に驚くほど目を覚まさせてくれました。
いったい誰が正しい、誰が間違っているでしょう?いったい誰が善で、誰が悪でしょう?
いったい誰が是で、誰が非でしょう?私はとても悔やんでいます。もしも私は早く目を覚ましていたなら、悲劇は未だそんなに大きくはなかったのではないでしょうか?母の不幸から、私達は反省すべきだとは思わないでしょうか?世界中に、どこの国に邪教修煉者、ましては普通の人の中に誰かがこんなに凶暴、残酷な拷問にかけられでも、殴られでも殴り返さなく、罵られでも言い返さないことまでするでしょうか?彼女達は反撃力を持っていないのではありません。このような善良な邪教は存在していますか?彼等はいったいどこが邪だと言えるのでしょうか?彼等はいったいどこが間違っているのでしょうか?彼等は信奉を持っているため、心身とともに健康にいられ、生命存在の意味も見つけました。
実際、貴方達は只ある人達手元の悪棒で、人に使われているだけです。政界の実力者に付くのはまさに私達民族の悲しみであり、まさに私達の悲劇が絶え間無く発生する原因である。邪悪になった政界の実力者は奴隷根性に支えられ、人民への責任を忘れました。心の法則を持ってい無い人達は悪人を助け、悪事を働き、不平たらたら、私欲、物欲が膨大に膨れ上がっています。誰でも利己理屈は沢山あり、まして悪事を働いたとしても堂々と理由をつけ、平気でいられる。本当の良い人を馬鹿に扱い、彼等に生活環境も与えてくれない。
まさしく母の死、母の偉大な人格の力、真理を保有し何物も恐れない力は私に法輪大法修煉者の中に入らせました。その法と理の以外には又何を信じたらいいしょうか?修煉を通じ、母が貴方達のことをきっと恨まないと分かりました。同じように、私も恨みません。しかし、貴方達及び悪事を働いている人達に以下の警告を申し上げます。
もうやめて下さい!自分の為に、人類のために、社会の為に、手元の棒を放下し邪悪のことを止めて下さい!
敬具
張学玲
2000年8月