君のため、僕のため、中華民族のため
――法輪功修煉者がなぜ天安門に行かなければならないかを重ねて
貧困とはなにか、豊かとはなにか、人それぞれである。私は今日ある中国語のサイトからある写真付の文書を読んだ:“恥ずかしいぞ!やめるべきだぞ!天安門は中共が全世界に向けて暴力を宣伝する場所になった”、写真では二人のチンピラが昼間に一人の法輪功修煉者を殴り倒し、一人がその顔を踏ん付けて、もう一人がナイフをもって首に当てて、足でその体を踏んでいた。私は文化大革命の時はある名言を思い起こさせられた:“やつを倒せ、さらにもう一蹴りを加えろ、やつを永遠に起きさせるな”。私はチンピラたちの精神世界の貧富を評価できない、なぜなら、彼らは人間性がない、ただ江沢民らの道具にすぎない。
写真上、数百名傍観の冷たい人衆の中、何人かは笑っている!私はあるニュースを思い出した、一人が川に落ちた、岸辺に何十人傍観していた、泳ぐことができない人が人々に助けを求めると、いくら出すと聞かれた、お金が少ないとだめだと、その人がおぼれて行くなか、値段がどんどん釣り上げ、結局人が溺れ死んだ時、まだ値段の合意に達していない!もうひとつのニュースを思い出した、一人溺れた人が助けられ、助けた人が溺れ死んだが、助けられた人はこそこそと逃げて、知らんふりした。
中国語の中に二つの文字がある:良心!人々が悪事を働いた人をそういうふうに指摘する:喪尽天良!もし一人が悪事を働いたら、みんなが彼を指摘し、彼が自分の過ちを知る。もし一団の人間が悪事を働いた時、全市、全国の人が彼らを指摘し、彼らがおとなしくなるだろう。もしある国で、国家主席をはじめ、悪事をし、各官僚が民衆を搾り上げたら、その国では善と悪、美と醜、正と邪、貪欲と清廉の意味が転倒したのではないだろうか?その環境で育った人は人の道徳基準があることが知らず、その環境で生きていく人は魂を曲げ流れに身を委ね、時すぎていくにつれ、良心、善心、年寄りを尊し幼い子を守り、他人のため自分を犠牲する、公正など人類の最も美しい単語が中華民族の言葉辞書から消えたのではないだろか?答えはすでに出ている、その写真から。
“上梁正しくなければ、下梁歪む”ということわざがある、考えてみてください、普通の人がリストラされ、眼球を売って子供の就学資金を捻出したり、内の老人の看病するための金がなく全員無理心中したり、人々が貧困に喘ぐなか、わが国の国家主席はなにをやっている?人民を税金で個人専用飛行機を買って、さらに大型劇院を作って、これらの資金は何十万人の一年の収入に相当し、或いは数百万人の生活費用に当てはまる。そのような腐敗のにおいを発散する人はまだ信頼できるといえようか?そのような人はまだ政権を握らせて、民をさらに苦しめることを許し、いいなりになるのか?
法輪功修煉者が天安門に出かけるのは政治に関わり、政府の面子をつぶしたと責める人がいる。では聞こう、普通の人々が正常に意見や告白を有効に受け入れるチャンネルがどこにある?直接爆発させることを期待したのはそういう人の好みだろうか?私は法輪功への批判は公平さにおいて草率であると思う。公園で煉功することを禁止し、政府に上申することも禁止し、真実を述べれば拿捕鎮圧され、それで修煉者たちが天安門に出かけて全世界に向かって真実を明かした。普通の人が冤罪に会えば、事実を反映するのは政治を企んでいるというのか?それでは江沢民がなにも持たない人々に暴力を振るうのは人民の内部矛盾を激化させ、民事政治化させ、江沢民自身が音頭をとって事を起こして、中国の国際上のイメージダウンを招いたのではなかろうか?
相手の立場に立って考えてみて下さい、だれも温暖幸せの家庭がほしい。しかし、江沢民の鎮圧の下、法輪功を続く人々が、家庭が分離され、離れ離れになっている、だれも安定した高給仕事に付きたいが、法輪功の人にはできない、なぜなら、江沢民の指示で、仕事が剥奪され、重い罰金を課され、破産させられている。だれも健康な体がほしいが、江沢民は法輪功が政権に脅かすと嘘をいう。私はその嘘を信じない、死んでも信じない、法輪功を客観的に理解している人はだれでも信じないだろう。
私は悟りはじめた、彼らは死の覚悟をもって天安門に出かけたのは全世界の人が法輪功を聞いて、理解してほしいためである。全中国の人々が正と邪を弁別し、悪を抑え、善を揚げ、道徳を昇華させ、みんな幸せに個人を泥から這い上げて思いやりのある人になるためである。
みんなよく写真をみてください、殴られた中年男子は体つきがよく、彼の顔が苦痛で歪んでいる、もし李先生の教え“殴られても殴り返さず、罵倒されても口答えしない”、“真、善、忍”を守らなければ、2、3人のチンピラを倒すのは容易いだろう、しかし彼はやり返さなかった、みんなが知っていると思うが、法輪功修煉者が天安門広場に踏み入れた瞬間、彼が個人持つすべてがなくなることを意味している。江沢民の独裁の下、真実を述べ、善を告ぐ人は大きな代価を支払う、命まで。法輪功を責める人の中でだれがそのような勇気がある?そのようないい人に対し、このような写真では、人間性がまだ残っている人はだれも正邪をわからずに被害者を責め、凶徒を支持しないだろう!
みんな考えてください、もしだれもが道徳水準の高い人間であり、われらの国はそんなに汚職の役人が多くないだろうし、国家主席は人民の生死を問わず大金をはたいて専用飛行機や劇場を買わないではなかろうか?“白衣の天使達”は賄賂をとっていなかったため、手術する時わざとガン患者に病気を残すようなことはしないだろう。“魂のエンジニアたち”は学生が貧乏でプレゼントをしなかったため、大学入学を拒否することはしないだろう。人は自分から始めれば、この国、この民族はまだ希望がある。しかし、江沢民は自分の道を貫くため、真理の声が封鎖され、人に善いことをさせる本を焼いたりして、彼は人民が眠りから目覚めるときが自分の滅亡の時とわかったから。
私は涙を禁じえなかった、私は法輪功信徒がなぜ生死を無視し、天安門にでかけるのかを理解した。彼らはけっして己のためではない!わが同胞、あなた心に覆う塵を払い、あなたもう麻痺した心が震撼させたとき、あなたは法輪功信徒の無私無畏の心がみえるはず!それはあなたのため、私のため、我々みんなのため、中華民族のためである!
李威
2000年10月2日