本当の善とは何か?

―江沢民の罪責を暴露する文書を読んだ感想(作者:高山)

 明彗ネットに大法の学員が書いた、江沢民の罪責を暴露する文書が掲載されていた。始めて読んだ時、少し違和感を感じた。自分自身が文書を書く時、否定的な言葉を使い一人の人を形容する事は少ないからだ。

  しかし、冷静に考えてみると、江沢民氏が大勢の人々に対して与えた損害や、数えきれない命に対して永遠にもたらした結果について、どのような否定的な言葉でも形容しきれるものではない。誠の善とは何か?私は下記のように考える:

  常人としては、個人の安危を問わず、他人と国の為に勇敢に立ち向かう事は大きな善挙であるが、これは集団と国の利益を短時間守るだけの行為にしか過ぎない。修煉者が個人の利益に対してできる事は”殴られても殴りかえず、罵られても罵りかえさない”。これは大きな善挙の行為であろう。また、宇宙の真理を守る事は更なる善であろう。宇宙大法が今人間の階級で見舞われた破壊は、多くの人々にとり、生命の永遠さを失ってしまい、一つの国にとり、想像を遥かに越えた悪影響を招いてしまった。江沢民の維持しようとしている”安定”により、無数の人々は嘘に騙され、大法を修煉する縁を失ってしまった。我々は個人の観念によって、多くの人々が恐ろしい結果に局面しているが、じっと見ているだけで彼らを助ける事ができない。修煉者として我々の慈悲心はいったい何処にあるのだろうか?

 江沢民の罪責を暴露することは、常人として人を責めることとは根本的に区別がある。常人が人を責める事は、個人の利益を守るために事実を無視し、人を責めたり、善悪を顛倒させたり、表面の善で汚れた行為を隠滅する。我々は江沢民が犯した罪悪の暴露について、この1年間に渡る大量の事実に基づき、衆生を済度し、善悪を明白させるためである。当然、人々に理解されるために、我々がもっと理性的な立場から充分な事実を用いて事実を伝えるべきだと思っている。

   常人の私心に基づいた“善”は神様の慈悲とは比べる事はできないだろう。法輪大法は、宇宙のあらゆる階級にいる生命に生きる環境を創造した天法である。その宇宙大法は今この人間の階層において、悪人が権力と政治的野心のために作り上げた嘘により、“邪教”の罪名をきせられ、被害に見舞われている。我々が常人の表面的な“善”に執着してばかりで、宇宙の真理を守らないでいると、真善忍の宇宙原則からどんどん離れていってしまうではないか?宇宙真理を守ために悪人の罪悪を暴露し、真実を人々に伝える事こそ誠の善ではないだろうか。

2000.9.27