張学玲女史を助けるための国際社会へのアピール
張学玲女史は、海外での法律手段を通して、母親である陳子秀女史の無実を明らかにしてくれるよう国際社会へ呼びかけました。
【編集者】
2000年2月21日、山東省維坊出身の五十九歳の法輪功修煉者陳子秀女史が信仰を放棄しないため、江沢民の手先にリンチされ殺されました。この残虐な行為を暴露するためイアン・ジョンソンさんが2000年4月20日付けの米国のオール・タイムズ日報で「陳女史は、最後の日まで法輪功を修煉するのは、一種の権利であると言い続けました。」というタイトルで詳しく報道しました。しかし、陳女史の娘、張女史は、母親が迫害された真実を暴露し、冤罪を晴らそうとしたためにかえって、母親を殺害した当地の暴徒達に拘禁されてしまいました。現在彼女は、迫害を逃れるため、故郷を離れ、流浪の旅をしています。
[当時維坊の庶民の間に伝えられたニュース]
陳女史が故郷の所在区役所の所員によって暴行を受け、殺害された後、陳女史の娘、張学玲は、母親のぬれぎぬを晴すため、善良な人々に呼びかけましたが、当地の政府と公安は、自分の犯した罪を隠すため、情報を操作し、事実を隠蔽し、陳女史の家族を脅かして、人身の自由を制限しました。その上陳女史の娘、張学玲を「敵に通じる疑い」、「国家のイメージを損なう」などの理由で拘禁しました。事実は以下のとおりです。
4月3日午後17時30分、張学玲が公安部に「敵に通じる疑い」という理由で召喚され、その期間中、市公安局の李局長は、張学玲に、彼女の行為は、すでに国家のイメージに対して損害を与えた。ひとりの人を誹謗しても法律の責任を負わなければならないのに、まして国家のイメージを損なうのはなおさらのことだ、と言って、召喚は48時間に及びました。
4月5日夜、張学玲が家に戻った後も、地方の区役所と警察に24時間監視され、銭湯に行く時にも、肉まんを買う時にも尾行がついていました。
4月11日、張学玲がまた、前回4月3日と同じ内容で召喚されました。今回の彼女は、4平方メートルにも満たない、一面が鉄格子で三面が壁の小部屋に閉じ込められ、15時間もの間一人の青年男性と一緒でした。今回の召喚は24時間にも及びました。
4月17日午前10時、張学玲は、公安によって自宅から強制連行されました。公安は彼女が当地の凧揚げ大会で、中間に立つ人々と接触し、真相が暴露されるのではないかと恐れ、彼女を治安攪乱条例違反の口実で15日間拘留しました。
江沢民とその手先がなんらはばかることなく、非合法的に法輪功を弾圧したことに臨んで、私達は、もう一度張学玲女史の宛先のない上申書を公表します。国際社会の正義で善良な人々が、援助の手を伸べ、張学玲女史が海外での法的手段を通して陳女史のために冤罪を晴し、正義を取り戻し、凶悪犯人に懲罪を与えてくれることを希望します。
明慧編集部
2000年9月22日