この道をずっと歩んで行くことを決意した

伊賀

 まず、李大師と同修の皆様がこの発表のチャンスを下さったことを感謝いたします。

 あたしは伊賀稔と申します。今年は39才です。22年前から、中国黒龍省から日本に帰りました。わたしの家族は5人です。妻は3年ぐらい修煉を行ないました。三人の子供も1年ぐらい修煉を行ないました。

 わたしはまだ若いのですが、さまざまな病気に掛かりました。例えば、15才からの頭痛、22才の時罹った心臓病、交通事故で頚髄炎になり、また、最近診断された脳腫瘍、神経性胃腸炎等などです。日本でいろいろ治療を受けましたが、全然治りません。何回も中国へ行って中国の名医を求め、漢方薬を250包も飲みましたが、効果がほとんどありません。妻に何回も勧められましたが、“法輪大法、威力無窮、実修できたらどんな病気でも治ります。”と言われました。その時は、嘘ばかりと思いましたから、全く聞き入れませんでした。ところが、昨年の6月、次女が急性糸球体腎炎で入院して、三日目の午後、次女が突然病気が悪化して失神しました。妻は“李大師!我が子を助けて!”と心で叫びました。しばらくすると、娘がまるで死の淵から蘇生したように目覚めました。

 この事件をきっかけに、わたしは修煉を決意しました。しかし、わたしは子供の頃から読書が嫌いでした。動作だけしました。修煉とも言えない修煉を一年行ないました。実修できなかったもう一つの障害はつまり薬をのむことがわたしの生活になくてはならなかったからです。薬を飲まないで修煉することはわたしにはできません。あの薬は全部中国から買って来たもので、そう簡単に飲むことをやめるわけにはいきません。今でも覚えていますが、中国でやっと手に入れた漢方薬を大事にはるばる日本に背負ってきましたが、リムジンバスに乗って荷物棚に置いて、日本には泥棒がいないと思って安心していましたが、途中で車が駅に止まり、自分の荷物を確認したら、ある若い人が薬の鞄を取って逃げています。あの薬はわたしの命で、持って行かれても何も役に立たないものですから、捨てられるでしょう。飲む薬がなくなると、わたしの方が大変です。わたしは急いで走りながら“泥棒!泥棒!”と叫びました。その若い人は鞄を捨てて逃げました。薬から離れられないわたしはようやく中国から250包の漢方薬を持って帰ったのです。薬をやめることはわたしにとって実に難しいのです。

 今年の四月ごろ、疲労がすぎて、旧病が再発した時、わたしは自分の人生に失望しました。生きているのは何の意味もないではないか。衣食の為に、毎日早起きして、死ぬほど働いている。この世を去る方がより幸せかも知れない。身体の具合が悪くて仕事を休んだ時、妻と子供は「転法輪」を出して、“一人で淋しいでしょう、これを読んでください”と言われました。過去の一年間、わたしは十何頁しか読みませんでしたが、その時、なぜか、本を手に持ってなかなか離しませんでした。読めば読むほど身体の具合が良くなってくるような気がします。2、3日で「転法輪」を読み終わりました。人生の目的は「返本帰真」(本に返り真に帰す)にあるということが分かりました。それを願えば「宇宙の最高特性という真・善・忍」に従って、自分を厳しく戒めるべきです。七情六欲を見捨てて執着心を無くして円満成就に達する心性を高めて、本当の家に返ります。これこそ人生の本当の目的ということが分かりました。

 本に書いてある言葉はまるでわたしに話し掛けているようです。李大師は「常人の社会では、名誉や利益の為に、人と奪い合い、争い合ったりして、睡眠も食事もろくに取れず、身体をぼろぼろにしています。別の空間から見ると、その身体は骨まで黒ずんでいます」とおっしゃいました。わたしこそその通りでしょう。生活を改善する為に、毎朝早く起きて夜遅くまで働いて、疲れて頭がふらふらして、耳鳴り、腹痛で倒れて起きられないことがよくありました。今は全て自然のままに従うということにしました。わたしは店の昼の営業を休業して、その時間を法の学習と煉功に使っています。

 今年の5月1日、わたしはシドニーの「法輪大法修煉体験交流会」に参加しました。出発の日、わたしの身体は最低の状態でした。当時、もう日本に戻れないと思いました。交流会の一日目、李大師にお目にかかりまして、大変感激しました。40分のお話の中で、李大師は「死ぬことさえ放棄することができなければ、どうして修煉できるのでしょうか。死を放棄させるのは本当にあなたを死なせることではありません」とおっしゃいました。この言葉はわたしの心を痛めました。わたしは死を恐れているから、身体の調子が悪くなるとすぐ薬を飲みます。その時、人間はいずれ死ぬから、法を得て死んだら未練もないと思いました。交流会の二日目、朝起きて薬を飲む時間になりました。一日に三回薬を飲みます。たとえ、明日死ぬとしても、もう薬は飲むまい、と思いました。大師の言葉には「朝聞道、夕可死」(朝に道を聞けば、夕に死するも可なり)とあります。わたしは大法を得ましたから、どんな恐れもありません。あの日より、わたしは薬をやめました。交流会終了後、わたしと東京のメンバーが交流する時、彼は「大師曰く:‘人と神との区別はそこにある。死を放棄すると神になる、死を放棄しないと人間となる。’人の一念の差は全く違う結果になる。試してみろ。」とわたしに好意的に言いました。わたしは答えました。「現在もう死ぬことを恐れません。薬をやめました。今日から、わたしは法輪大法を実修する正真正銘の弟子となります。

 交流会終了後、わたしと義弟はシドニーでの観光を計画しました。生死の試練がそんなに早く来ることを考えませんでした。わたしと義弟は一日半遊んでいないのに、わたしの身体は耐えられなくなりました。仕方なく一人でホテルに戻って、暫く経って高熱が出ました。全身が痛くなり、心臓も速くなりました。夜、義弟が戻ってその様子を見て、薬を勧めてくれました。日本に返ってから薬をやめても遅くありません。万一何かあったら、奥さんに報告できません。わたしは「李大師がわたしの身体を浄化し始めている、どうして薬を飲まなければならないですか」と答えました。義弟は勧めても聞かないと思って、死の言葉でわたしを威かしています。わたしは全然動揺しません。李大師が生死の試練をさせていると思ったからです。この関を通過したら、わたしの修煉の決意がさらに堅くなるでしょう。翌日の朝、高熱が下がりました。痰を吐いたりして、痰は黒っぽいです。排出する尿も赤っぽく濃い薬の匂いがします。腫瘍部位と耳はあっちこっち順番に痛くなり、頭が痺れてきます。これは、李大師がわたしの為に順番に浄化していることが証明されます。それで、さらに法輪大法を堅く信じるようになりました。妻の言っている「法輪大法は威力無窮なり」の意味が理解できました。

 日本に帰ってからも、身体が浄化されていますが、身体の調子は一ヶ月前と比べてすっかり変わりました。身体がますます良くなっています。今、病気のない身体は本当に楽だなあと実感しました。頭痛、耳鳴り、腹痛は全部治りました。心臓も正常になりました。一ヶ月間頭が痛くなかったのです。わたしはその病気のお陰で法輪大法の修煉の門に入ったのですが、法輪大法に病気の治療を求める気持ちはちっともありません、求めようと思ったら何も得られないということがよく分かっているからです。

 現在、わたし達一家五人はいつも一緒に煉功します。土曜日と日曜日、修煉の友人と一緒に公園で煉功します。わたしは初心者ですので、法の認識と煉功の方面では、先輩と比べものになりませんが、わたしは精進に勇んで、無駄にした時間を取り戻したいです。わたしは一ヶ月の後、第二功法「法輪廴法」の抱輪ができました。第五功法「神通加持法」の座禅が一時間できました。ある日、友人に誓って、「今日、家に帰ったら、一時間の座禅を突破します」と言って、あの日はどうかおかしい、両足を組んで座禅し始めると痛くなり、30分経過したら、耐えられなくなり、やめようと思いました。その時、思想業力の干渉に絶対に負けないと考えました。再び、先輩たちのお話を思い出しました。中国のハルビンにいる若いコックさんが、座禅中の痛みの中で、他の空間の身体を見掛けました。雄鳥が彼の股足の肉を齧っています。また齧りながら捻ります。一塊の肉を噛みとって喜んで行っちゃいました。コックさんの足も痛くなくなりました。これは彼の殺生の報いです。わたしの場合、何も見えませんが、わたしの痛みもその世世代代積み重ねた業力と分かりました。返さないと、どうして円満成就できるでしょうか。痛ければ痛いほどたくさんの借りを返すことができると考えて、苦痛を楽しんでいます。そのまま一時間が継続しました。

 我々は機会あると、法を広める活動をします。わたしのお店は法を広める好い場所です。お客さんはこの業界の人は人を騙さないことを知っていますから、我々を信じています。我々は正々堂々皆さんに法を広めます。お客さんは皆わたしの以前の身体状況を知っているし、一ヶ月後、こんないい顔をしているのを見て、本を買いたい人がいっぱいです。一緒に法輪功を修煉したい人もいます。広島地区の人は皆いい人です。わたしは積極的に法を広め、死んでも惜しみません。今後の人生の中で、何を失っても平気です。というのは、わたしにとって、法輪大法がなくてはならないことしか分かりません。この道をずっと歩んで行くことを決意しました。