円満成就になるまで、修煉を続けていきたい
李 娜
私は李娜(ナ)と申します。東京上野煉功場の学員です。私が大法を得たのは1996年11月8日の日でした。はじめて「転法輪」を読んだとき、私はすぐそれに引き付けられてしまいました。実に素晴らしいことが述べられています。世の中にこんな素晴らしい書物が存在していることを初めて知りました!中学時代から大学をへて、卒業した後大学で数年間教師を勤めて、そして日本にきてから今まで、確かにこんな素晴らしい本を読んだことはありません。この本を読んだ最初のころ、私は毎日のように自分に言い聞かせていました:なぜこんなに素晴らしいのだろう。なぜ中国にこんな素晴らしい本が生まれたのだろう。いい人になることからはじまる……、その一文字一文字に私のこころが打たれました。私はかならず本の中に書かれたこと、先生の教えたことに従って行こうと心の中で誓いました。私たちに「転法輪」を送ってくれたのは、義理の弟です。彼がちょうど北京の法輪大法国際交流会に参加してきて、主人と私が空港へ彼を迎えにいった日です。空港で彼は「転法輪」という本を我々に手渡しました。本について彼は何も言いませんでした。いったいこれがどんな書物なのか、主人と私はぜんぜん見当がつかなかったのです。本の著者は誰なのかも一切知りませんでした。まさかこれが修煉の本だとは考えもしませんでした。まさにこの何も知らない前提で、本を開いてみたら、すぐに本の中に説かれている道理に引き込まれていきました。知らず知らずに私は自然に修煉の道を歩み始めたのです。私がまだ「転法輪」を読み終えていないうちに、先生は私の身体を浄めててくださったのです。私の両手と両足には卓球ボールの大きさの血斑が現れてきました。私は昔にかなりひどい貧血性血小板不足症にかかったことがありますから、ときどき血斑が現れることがあります。しかし、今回の場合は血斑の数にしても大きさにしても以前のものより酷くて,大小合わせて10数個所出ていました。もし、以前にこんなにたくさんの、しかもこんなに大きな血斑を見ったら、私はきっとどうしたらいいかわからないほど怖かったでしょう。あるいは身体がだるくて、非常に疲れやすくなったでしょう。ところが、今回は過去の経験とは違って、私は少しも怖いとは思いませんでした。とても元気で、少しも疲れたという感覚がありませんでした。そのときは、これは先生が私の業力を消してくださったことも、私の身体を浄めて下さったこともまだ知りませんでした。なにしろ当時の自分は修煉が何であるかをまだよく知らなかったのです。自分も修煉しようとは思いませんでした。後になって、先生はすでに私が「転法輪」を読んでいるときから私の面倒をみてくださったのがわかったのです。
修煉の道を歩みはじめると、身体には業を滅する現象が起こり、たくさん不思議なことが起こりました。不思議だといっても、どれもが我々修煉者に「道」を悟らせることばかりなのです。これらを通じて、私は仏法の威力を深く感じました。切実に先生が我々の傍にいらっしゃるのが感じられました。先生は我々の修煉を見守っているのです。法を得た最初の日から、私と主人は毎日法を勉強し、煉功をしています(ちょっと余談ですが、主人は私と同じ時期に法を得ました。我々はともに修煉者です)。だんだん法を勉強していき、煉功の時間を延長していくにつれて、夜だけの時間ではもう足りなくなりました。毎日会社の仕事を終えて家に帰ったら、簡単な食事を作るだけで、満腹さえできれば十分です。昔、私は食べ物にはこだわっていました。かならず良いもの、おいしいものを選択するのです。自分も料理についてかなり研鑚していました。しかし、いまは修煉のため、食事はシンプルであればあるほどがよい、できるだけ時間を無駄にしないようにしているのです。以前は、入浴するとき、かならずお風呂でしたが、いまはシャワーを使っています。それでも、我々はやはり時間がたりないと感じました。どうすればいいでしょう。そのとき、我々はもう法を得て5か月になりました。そのときから、家族の中で朝寝坊で一番有名な私が、朝5時になると自然に目が醒めて、再び寝付くことができなくなったのです。以前だとこれは考えられないことです。以前は、いつでも眠れました。ときには、前日の夜から翌日の昼まで寝ていて、出勤している主人はわざわざ会社から電話をかけてきて、私を起こして、朝飯を食べさせるのでした。とにかく私は朝寝坊の名人でした。目が醒めた後、再び寝入らないことなど、どうして可能でしょうか?!はじめのとき、私はトイレに立つために起きたのかと思って、いったんトイレにいってから、また布団の中にもぐりこみました。しかし、やはり寝付くことができません。目があいたままぜんぜん眠くありません。なのにとにかくぐずぐずして、ベッドから起きようとしません。普段の起床時間までにまだ1時間半もあるからです。このようなことが1週間、2週間も続いて、毎日かならず5時に目が醒めます。悟性(ごせい)がどんなに低い修煉者でも、こんなことに対して、すでに悟っているはずでしょう。これは朝早く起きて、煉功するようにと私に暗示しているのではありませんか。私はこのことを主人に言ったら、二人で笑いました。これ以上明白のことはありません。我々は夜の時間が足りないことで悩んでいるとき、先生は我々に暗示を与えてくださったのです。それから、主人とわたしは朝5時に起きて、煉功するようになりました。後になって、たまにこの事を話すとき、私はいつも恥ずかしく思いました。当時の自分は本当に悟性が低かったと思います。この事件を通して、私は心の中から先生の慈悲を深く感じています。私はほんとうに先生に感謝したいのです。それから煉功時間をさらに伸ばして、97年の冬から私と主人は毎朝4時に起きて煉功するようになりました。それは今日ずっと続けています。これからも続けていきたいと思っています。
修煉が私の生活の中で一番重要なことになりました。毎日、仕事のほか、法の勉強と煉功がなくてはなりません。法を勉強すればするほど、法の素晴らしさを感じます!勉強すればするほど、手放したくなくなります。休日の日、朝から晩までずっと法を勉強していても、すこしも眠たくはなく、疲れを感じません。私の心身はすべて法の中に溶け込んで、あの和やかな、慈悲の場に包まれました。ある休みの日,朝起きて煉功した後,『転法輪』を読み,さらに98年3月先生のアメリカでの説法録音も聞いていました。このように8,9時間にわたって法を勉強したあと,私はすこし居眠りをしたのです。と、突然私の頭にまるで何か爆発したように大きな音がありました。すると,先生が法を説いている声が私の頭の中で響いてきました。そのとき,私はテーブルにうつぶせていて,まるで熟睡しているようでしたが,先生の大きな力強い説法の声がはっきりと聞こえたのです。この状態は10分間以上も続いていました。そして,私は目が醒めました。先生がかつて「我々の修煉の中に現れたいろんな状態はすべていいことだ」とおっしゃったように,私はすぐこれが絶対良いことだと意識していました。もし,頭の中が全部大法で充満されていれば,心がいつも法を覚えれば,心身のすべてが法に溶け込めば,大法の偉大なる威力が必ず現れるのです。
先生は『転法輪』および各説法の中に法を勉強する重要性を強調しておられます。深く修煉していくにつれ,私は法を勉強する重要性をますます痛感しました。先生がおっしゃったように:「修煉するには,本をもっと読みなさい」「あなたが修煉したいなら,必ず本を読みなさい。繰り返し繰り返し読むことだ。本の中に膨大な内容があり,それはまったく不思議なものだ。」 法をしっかり勉強してこそはじめて,我々の修煉が法に導かれ,法を勉強してこそはじめて,我々は本当に高められるのです。去年シンガポールの交流会に参加して帰てから,私は内心の深いところから『転法輪』を暗記しようという思いがめばえました。これは素晴らしい宇宙大法だ! 私はこれを暗記して,自分の頭に刻みたい,心に残したいと願いました。そして,去年9月7日私は『転法輪』を暗記し始めました。ちょうどその日の夜,私は夢の中で空に2匹の大きくて美しい龍を見ました。私は頭を上げて,目を大きくあけてじっと見つめていました。龍は自分にとても近く,はっきり見えると感じました。龍の頭部からゆっくり見ていき,そして龍の身体の部分,最後に龍の巨大な尾を見ました。すると,夢の光景はずっと龍の尾に止まったままです。それを見ながら,私は「ああ,こんなに大きい,なんと綺麗だ!」と独り言を言っていました。翌朝目が醒めたら,夢の中の光景がはっきり私の脳裏に残っていて,すぐにこれは先生が私に暗示してくださったのだと悟ったのです。そう,先生は私を励ましてくださったのです。法を暗記することは龍に頭のみでなく、尻尾もなければならないように,中途半端でやめではならず,修煉も功成って円満成就になるまでなしとげるように先生が教えてくださったのではありませんか。これがわかると,まるで先生が私の傍におられるように感じました。私は先生の肖像の前に,合掌して,「ありがとう,先生。暗示をくださって,ありがとう。私は必ず最後まで『転法輪』を暗記します。必ず頑張ります。先生,お力を貸してください。円満になるまで弟子の修煉を助けてくださるようお願いします。」と告げました。私が夢のことを主人に話したら,彼も大いに鼓舞されて,こう言いました:「わたしたちは法をしっかり勉強し,心性を修煉しなくちゃ。もっと努力して,早く向上しましょう!そうしてこそ先生のご期待に背かないのだ。そして、自分たちにも背かないのだ。この一万年かかっても遇えない宇宙大法に応えられるのだ。」こうして,二人は仕事を終えて帰ったら,すぐ法を暗記することになりました。最初の三ヶ月,主人と私はまず『転法輪』のひとつの章を読んだ後,各自に暗記しはじめます。始めは,暗記を助けるために,法を紙に書きながら暗唱していました。仕事がどんなに忙しくても,毎日法を暗記することは欠かすことがありません。休日の日は全部本を暗記することに使いました。読んだり,暗記したり,一ページずつ前へ前へ進んでいきます。大法を暗記することは本当に素晴らしい。まるで自分の頭の中に法が満ちているような感じです。時には朝起きて歯を磨いているとき,前日夜に覚えた法は一行一行はっきり頭の前にあらわれてきます。仕事が一服したときにも同じ現象が起ったりします。実際は法を暗記すること自体が修煉そのものなんです。状態が良いとき,心が穏やかなときは,暗記するスピードが速くなります。しかも,とても素晴らしい状態が現れます:本を暗記しながら,自分の身体が膨張していくように,拡大,拡大,さらに拡大していきます。あるとき,心が落ちすかないせいか,私の決意が堅いかどうか試されているのか,一つの段落を暗記するのがとても難しかったのです。何時間をかけても,一段落すらなかなか暗記することができませんでした。そんなとき,私はこれを修煉中の試練だと受け止めています。困難であればあるほど,やりとげようとし、その関門を突破したいのです。法を暗記することをやめること,修煉をやめることなど考えたこともありません。私は先生の肖像に向かって言いました:「どんなに難しくても,私は必ず暗記していきます。必ず修煉を続けます。必ず『転法輪』を丸暗記します。」 こうして,私はまるまる7ヶ月の時間で『転法輪』を全部暗記したのです!最後の一ページを暗記できたとき,私はうれしくて,とても興奮しました。感動しましたが,同時にとても平静でした。とにかくその心情は言葉では表現できないものでした。そのとき,私は急いで本の最初の先生の写真があるページに戻して,先生にこう言いました:「ありがとう,先生!これは法です!普通の本ではありません。法の力で私は『転法輪』を暗記できました。法は超常的なものなんです!」
絶えまぬ法の勉強を通して,修煉していくにつれて、修煉者は修煉の過程においてさまざまな心性上の試練を受けます。私も同様に会社においても生活面においても、いろいろ心性上の試練を経験してきました。心性は、あるとき、よく守れましたが、あるとき、あまりしっかり守れませんでした。私は空港の免税店で仕事をしています。毎日旅行団体やガイドさんと接触しています。ある日、一人のガイドさんが私の店にきて無理な要求をしましたが、私はそれを断りました。すると、彼は店の中で大声で私を罵って、私の態度が悪いとか商売が下手だとかといって、ひどく騒ぎました。また、本社に電話して私のことを告げ口するとかも言っていました。そのとき、私は、自分が修煉者であることに気付いて、これは心性を高めるチャンスだと受け止めました。そこで、私は穏やかな心情で、彼に何もやり返しをしなかったのです。いったん彼が罵ることをやめると、私は彼の前に行って、誠意をもって彼に“もし私の仕事になにか間違っている点がございましたら、私はあなたに謝ります”といいました。その場では私は立派に対処したので、心性が守れに見えましたが、何日間経ったあとでも、私の内心にはまだわだかまりが残っていたのです。自分が不公平に扱われたのだと思って、数日間に立ってもその思いを取り払わえなかったのです。やはり自分は心性をよく守っていないこと,度量はまだ大きくない,こころの容量をまだ大きくしなければならないと分かったのです。また,ある日会社にいって,ある新入社員が突然私に向かって,私がこうでもないああでもないといろいろ私のことをさんざんに言い始めました。一人のアルバイトさんも彼女に同調し,顔を赤くして大声で私を非難しました。そのとき,私はちょっと愕然としました:私は古い社員なのに,日本の会社では新入社員が先輩にこんな態度で話すことはありえない。それに入ったばかりのアルバイトさんも正社員に対してこんなふうに話すのは非常識だ。が,私はすぐに自分が修煉者ですから,常人と同じようになってはならないと気付きました。修煉者が出会うあらゆる出来事は偶然なことではありません。私は平静な口調でそのアルバイトさんにこう言いました:「ここは免税店です。大声を出さないでください。営業に影響がでますから。どういうことかお話を聞きましょう。」新入社員の話によると,その日会社のコンピュータシステムが故障して,修理する前に誰もが触っていけないことになっていました。しかし,誰かに触られてコンピュータの画面が変わっていまったので,彼女は焦りだして,わけも聞かずに勝手に私がやったと断定したのです。彼女の話を聞いて,私は彼女に「私はやっていません」といいました。彼女がいきなり「あなたでなければ,誰がやったんですか?」と返してきました。そのことばに,私はまた愕然としました。先生が言ったように,トラブルが起ったとき,内に向かって原因を求めなさい,100%で内に向かって原因を捜さなけえればなりません,外に向かって求めてはならない。確かに私になにかのこころをもっているだろう,私にどこかまちがっているだろうと思い始めました。そうでないと,彼女たちは絶対私にこんなことはしなかったはずです。そのとき,私はすぐ自分がいつも古い社員だと思って,新入社員を低くみている考えをもっていることを意識しました。そうすると,私はまた彼女に「私はやっていません」といいました。彼女はやっと静かになったのです。ちょうどそのとき,コンピュータを触った社員は自らこちらにきて,「すみません。触ったのは私です。」と謝りました。その新入社員はこれを聞いたら,即座に私に:「すみません。」と謝ってくれました。「いいえ,大丈夫ですよ。」と私が笑って応対しました。彼女は私に心性を高める良いチャンスを与えてくれたうえ,自分のもう一つの執着心を見つけたので,私は彼女に感謝すべきだと思いました。先生は:「修煉の全過程は,ほかでもなく,あなたの執着心を取り除いていく過程なのだ。」とおっしゃいました。私にはまだたくさんの執着心があり,まだ多くの関門を綺麗に乗り超えていません,まだたくさんの常人の観念をもっていますが,これからは,大法の要求に従ってもっと自分を厳しく律しなければならないと思います。もっと本を読み,もっと法を勉強し,法の中で高めてゆき,あらゆる執着を捨て,常人の観念を捨て,円満成就になるまで,修煉を続けていきたいのです。
どうもありがどうございました。