私が如何に法輪功の修煉を始めたのか

陳 雪娟

 陳雪娟と申します。1996年8月19日から法輪大法の修煉をはじめ,もうすぐ3年になります。修煉してきた道を振りかえってみて,自分が如何に修煉に精進していないかを思うと,恥ずかしくてなりません。最大の原因は自分が頭の中で法を勉強することを重視していなかったこと,ほんとうに自分の心を修煉していないことにあって,修煉のレベルをあげるのがずいぶん遅れてしまいました。以下に自分の体験をご紹介します,すこしでもご参考になれば幸いです。

(一) 私が如何に法輪功の修煉を始めたのか

 私は1996年4月留学のため日本にきました。当時自分が考えていたことは,将来のためにまじめに勉強して,学位を取ること,同時に一生懸命にアルバイトをして、お金をためることでした。しかし小さいころから身体が弱かった私は,このようなハイプレッシャーの生活に耐えられなかったのです。身体の状況はますます悪くなってきて、持病の頭痛から、肩周炎や、便秘、腰痛、花粉症、皮膚病などへと発展してしまいました。体が一日一日と崩れていき,毎日大変疲れている,疲れているという感じでした。このため,仕方がなく、三ヶ月の休養をとるために帰国しました。

 長い間頭痛に悩まされたため,私はずっと治療方法を探していました。日本にくる前に,いくつかの気功を習ったことがありますが,効き目がないだけでなく,却って健康状態が悪化したので,いずれも続きませんでした。帰国している間、もっと健康に良い功法を習ってみたいと思いました。そのとき,自分がある日散歩に出かけたときに,偶然人々が法輪功をやっているところを見たことを思い出しました。そして,96年8月19日,私は病気を治療したいという心をもって,法輪功の練習場を訪ねました。そのとき,私は一人の学習者に,法輪功はどんな病気に効き目があるのですか,と聞いたところ,彼は,法輪功は病気を治療するためのものではないが,本当の煉功者には病気はない。煉功の目的は返本帰真なのだ,と教えてくれました。当時,彼の言っていることはあまりよくわからなかったのですが,とにかく試してみることにしました。動作を学び始めると、私はすぐにそれが好きになりました。私の直感では、これは私が長年間追い求めていたもっともすばらしい功法なのです。

 はじめの2ヶ月間、私は法の勉強を重視しませんでした。「転法輪」はとても素晴らしい本だと私は思い、本の中からいろんな道理もわかってきて、良い人でいるべきこと,世の中の荒廃した道徳観念に流されてはいけないことにも気付きました。しかし,本の中から自分の興味を引く部分だけを読んでいたため,大法の真の意味合いを理解していませんでした。自分はもう十分理解した,これから一生懸命動作を練習すればいいだと思い込んで、本をつんどくにしました。ただし、主人に「転法輪」をよく読むようにと薦めました。主人は「転法輪」を読んだら,この本の素晴らしさを感じて,知りたがっていたことがすべてこの本の中に書かれていると言いました。彼はまた、先生が本の中で「心性の要求に従わず,動作だけをやって、心性を修煉していない学員は,煉功者とは言えません」とおしゃっているのようと私に言いました。私が修煉のことを軽々しくみていると主人は指摘してくれました。他の法輪功の学習者を探したいとも言うので,私はすぐ他の煉功者と連絡を取りました。そのとき,北京ですぐに法輪功の国際交流会が開催されることを知らされました。私は自分が入門したばかりで,別に他人と交流したい体験もないので,参加するつもりはなかったのです。しかし,主人は北京に行ってみよう、北京の学員たちがどのように修煉しているかを見てみようと提案しました。そこで、我々はすぐ航空券を買って、96年10月末の北京国際交流会に参加しにいきました。

 北京での交流会の4日間、私にとっては一生忘れられない日々でした。それが私の人生の一大転機となったのです。古い学員たちと交流して、彼らの熱心、彼らの善良、および彼らの他人に奉仕する精神は,深く印象に残りました。ある日,みんなで一緒に煉功し終わった後,山にも野原にもたくさん,たくさんの黄色と紫色のボールが漂っている風景を私は見ました。私はそれは法輪ではなかったかと思いました。大法の威力,一切の一切に私の心は深く打たれました。このとき,私が如何に貴重なものを得たのかがはじめてわかったのです。一般の気功とは違って、法輪功は身体を浄化してくれるだけでなく、人のこころをもきれいにしてくれて、我々を「返本帰真」の道に導いてくれるのです。このとき、私は先生が言われた「気功はすなわち修煉だ」のほんとうの意味をはじめて理解しました。この交流会で,我々は幸運にも李先生にお会いしたのです。李先生の説法を聞くことができて,私は大いに啓発され,鼓舞されて,修煉の道を歩むことを決心しました。

 北京から帰ってきた後,時間を無駄にせず法の勉強に取り組み,できるだけ修煉者としての基準で自分を律するようになりました。まずひとりの良い人間になることから始め,職場で,他人のことを思いやり,利益の面ではまず他人を優先し,辛い仕事を自ら喜んでやるようにしています。法輪功を修煉して,私の体の状況は大きく変わりました。小さい頃からよく引く風邪に,かからなくなったのです。10何年間悩まされ続けた頭痛も治りました。以前はなかなか寝入ることができなかったのですが,、いまは5分も経たないうちに熟睡してしまいます。便秘や、肩周炎、腰痛などの病気はいつのまにか消えてしまいました。私は始めて病気のない楽しさを味わいました。こころもひろくなった、大きくなったと感じています。むかし、私はよく些細(ささい)なことで自分を責めたり、往々にして物事をネガティブに考えたりしていました。そのため、ときどき眠れなくなるのでした。いまはそのような状況はまったくなくなり,人生の目標を見つけることができ,充実して楽しく生きていると感じています。

(二)法をひろめる活動の中で,自分の執着心を見つける

 法輪大法がとても素晴らしいと思ったので,私はもっと多くの親友にも知ってもらうため,積極的に大法を広めることに取り組みました。97年8月の末,私たち何人か比較的早い時期で法を得た人たちは,上野公園で煉功場を作りました。考えもしなかったことに,発足した日から,いろいろなトラブルが生じました。実際,煉功場の責任者というのは,何の肩書きでもなく,これを担う人は,まったくの奉仕で,他人よりもっと多く自分のことを犠牲にしなければならないことを意味していますけれども,この名称にこだわる人がいたと私は感じました。当時の自分としては,そもそも責任者になりたい願望もなく,闘争心もないので,そんなことにかかわらないほうが良いと思いました。後になって,よくよく考えてみたら,自分はやはり常人的な観念をもっていて,もし自分が巻き込まれると,自分の名前が損なわれてしまうのではないかと恐れていたのです。本当は大法をもって物事を考え,トラブルの中で自分の心性を高める良いチャンスですが,自分には関係ないとすることで,トラブルを極力避け,心性を高めるチャンスを逃してしまいました。自分はよく煉功場に通っていますけれども,トラブルがある時いつも避けるのでしたら,どうやって修煉を向上させるのでしょうか?

 去年8月シンガポールの交流会に参加した期間中,ある日,日本からきた一部の古い学員たちが集まって,日本での法を広める状況を話し合っているとき,一人の学員はもうひとりの学員に厳しい批判の言葉を投げました。批判された学員はそれに耐えられず,泣いてしまいました。このとき,他の学員たちも自分の考えを表明し,それはわりと説得力のあるものなので,その場の雰囲気はだんだん落ち着きました。当時,私は何も言えませんでした。先生が『時間との対話』文の中で:「もし彼らは他人をあうでもない、こうでもないだと見る目を,自分に向けて見たらどんなに良いでしょう」との言葉を思い出しました。そうですね,私自身のほうはどうなんでしょう。あの批判を受けた学員は法を広める活動を行うにあたって,相手に理解できるかどうか考慮せずに、たしかに強引と思われるところがあるのですが,私も時々同じような話ぶりをしているのではないでしょうか?時々自分のほうに理があったとき,他人のことを許さないこともあったのではありませんか?この学員はなぜやり切れない思いをしたのでしょう?彼女の立場に立ってみると,彼女はもっと多くの人に法を得させるために,精力的にたくさんの仕事をこなしてきました。仕事があまりに多すぎて,彼女自身の法の勉強や煉功に支障をきたしかねません。彼女と比べて,自分は大法のためにどのぐらいの仕事をしたのでしょう?彼女には遠くに及びません。もう一方,私はあの自分の意見を率直に表明した方にも及びません。彼女は少なくとも大法の立場にたって,個人の得失を考えず自分の意見を表明する勇気がありました。しかし,私は,異なる意見があっても,他人の不満を買うことを恐れ,トラブルに巻き込まれるのを恐れて,正直に申し上げる勇気がなかったのです。そこには,自分を保護しようとする私心が隠れているのです。先生は『目覚め』という文章の中にこう述べています:「私はよく言いましたが,もしあなたは本当に他人のためであって,ちっとも自分の目的や自分の観念を交じえなければ,相手はあなたの言葉に涙をこぼすほど感動するのです。私はあなた方に法を教えただけではなく,私のやり方もあなた方の参考にしてほしいのです。仕事の中での適切な話し方や他人に対する思いやりの心,それに道理を加えれば,はじめて人の考え方を変えさせることができるのです。命令は永遠にそんなことができません。」 シンガポールから東京に帰る飛行機の中で,私は繰り返しこの文章を読んでいて,理解を深めました。自分はトラブルにあったとき,いつも自分がどこか間違っていることを考えずに他人の欠点ばかりを気にする傾向があり,いつも自分がもっていた観念に固執するので,ほんとうにいけないと反省しました。

(三)法を暗記することから得た感想

 97年末,北京交流会のとき,一人の農村からきたおばあちゃんが演壇にたって,『転法輪』第1講の「法輪大法の特徴」の節を,一文字も漏れずに,我々が朗読するよりも流暢に,勢い良く暗唱していました。後で訊ねてみたら,昔彼女はただ2,3週間の読み書きクラスに入っただけです。あまり文字を読めなくて,全て辞書を引きながら『転法輪』を勉強したそうです。これを聞いて,自分は本当に恥ずかしいと思いました。また,その間,台湾からの学員とも交流して,法をまる暗記することの重要性を知り,台湾でたくさんの学員たちはすでに法を暗記しはじめていることを聞きました。その中の一人は私たちに,彼はすでに第1講を暗記できて,第2講を始めていることを紹介してくれました。私も暗記することはいいことだと思い,先生も『修煉とは何であるか』という文章の中に指摘したように「私はなぜあなた方に『転法輪』を勉強,朗読,暗記してほしいというのでしょうか? あくまでもあなた方の修煉を指導することが目的なのです。動作だけをやって,法を勉強しない人たちは,はっきり言って大法の弟子ではありません。」日本に帰ってきたら,私も暗記しようと思いましたが,試してみると,ほんとうに難しかったのです。何時間も費やして,1節も覚えることができなくて,すぐ止めてしまいました。やはり通読しましょ,通読しても同じく向上することができますからと言い分けを自分に言い聞かせました。シンガポールの交流会にいったら,かつて第1講を暗記した学員は今回講壇にあがって,自分の体験を発表し,彼は仕事の合間を利用して半年のうちにすでに『転法輪』をまる暗記したことを披露しました。この学員の話を聞いて,私は彼の意志力に敬服し,怠けている自分を責めました。それでも,自分は仕事が忙しいことを理由に,法を暗記しようとしなかったのです。その後,義理の姉が台湾の学員のことを聞いて大いに励まされ,彼女も本を暗記し始めました。また暗記した後に見た夢も教えてくれました。彼女は夢の中で最後まで続けようという啓示を受けたというのです。これは私に対しても啓示ではないかと思って,自分も法をまる暗記したほうがいいと考えました。しかし,2ページを暗記したところ,またも進めなくなりました。法を暗記することはとても難しくて難しくて,自分の頭は何故こんに駄目なのかを嘆いていました。ひと晩かけても,1節も覚えられませんでした。自分にどういう原因があるのかを求めずに,仕事が忙しくなると,また暗記することを放棄しました。

 今年の2月中旬から,法を勉強する時間が充分取れるようになりましたので,今回こそまじめに本を丸暗記しよう,もし三ヶ月以内で『転法輪』を丸暗記できたらいいなあと思いました。始めてみると,やはり前に進むのが難しくて,心がいつも翻弄され,静かになることができず,1節を暗記するのに何時間,ひいては何日間もかかりました。他の学員は皆一講ずつ一講ずつ前へと暗記していき,次第に,義理の姉が『転法輪』を全部まる暗記し終わって,兄も暗記し終わり,他の人も最終ページに近づいています。対照的に,自分はどうでしょう? いつも自分はたくさん法を広める仕事をやらなければならないからとの理由で,暗記することをよく途中でやめたりするのです。実は,これは明らかに外に向かって求めるのであって,精進していないことの現れにほかありません。自分はなぜ法を暗記することが続かないのか,良く分析したら,主に2つの原因があると思います。

 第1に,普段自分を厳しく律しなかったからです。毎日法も勉強し,煉功もしますが,実は内心では自分を律していない,いろんな面で修のことが欠けているのです。昔,大学に入るために,朝が来たことも知らずに受験勉強をし,歩いているときさえ英単語を暗記したことがありました。そのときの情熱は何故,今この素晴らしい大法の勉強に注げないのか?どこが原因なのでしょうか?なぜたくさんの人々はこの法を手放すことができない愛読しているのでしょうか?私にはどうしてそのような感覚が出てこなかったでしょう?自分はこころではなく頭で,法の勉強をやらざるを得ない仕事のように自分に強制させているのです。これでは,効果が出ないのも当然のことです。ある日,『精進要旨』中の「環境」という文章を読んでいたとき,すごく感銘を受けた一句がありました。その中に先生はこう述べています:「私はあなた方を弟子として扱っていますが,あなた方自身は弟子になりたくなければどうにもなりません。修煉の過程に捨てるべき1つ1つの執着心はまるで一つ一つの壁のように,そこに横たわって,あなたの修煉の道を妨げているのです。法そのものに対して堅い信念を持たなければ,修煉することはできません。」 自分の執着心を探さず,それをなかなか捨てないのでは,当然法を暗記することができるわけがないと私は反省しました。

 第2に,自分は心から法を丸暗記しようとする願望を持たなかったからです。ただ他の学習者が暗記することによってすばやく向上できたのを見て,自分も試してみたいだけだったのです。意志が固くないので,挫折にあったら,すぐやめてしまいました。実際,先生は我々に望んでいるのは修煉者のこころなのです。自分にそのような堅い信念がなければ,法を暗記することは無理です。

 自分の欠点を発見したら,私は現在法を勉強する心情が変わり,勉強すればするほど,意欲が旺盛で,難関もわりと容易に乗り越えることができました。身体がとても軽快になり,トラブルに遇うたび,まず自分自身に原因を探すようになりました。法を暗記することはまだまだですが,一時期の暗記を通じて,大法に対する理解や認識が深まりました。したがって,私はこれから,さらに努力して,時間を大切にし,できるだけ早く大法を全部暗記できるように頑張ります。常に自分を戒め,先生の教えに従い,もっと法を勉強し,勉強し,絶え間なく精進して,一日も早く自分の家に帰りたいと思います。

 ご静聴(せいちょう)、どうもありがとうございました。