法に溶け込み、圓満成就に同化します
李 鋭
皆さんこんにちは。わたしは李鋭と申します。今日ここにおられる皆さんは大法に縁があって集まって来られたと思います。私も皆さんと同じように大法と縁があってここにいられるのだとはっきり分かっており、そして、法に溶け込み、圓満成就に同化できる歓喜の時を心から期待しております。
次に、私の大法との出会い、そして、この一年間の修煉の感想について皆さんに報告させていただきたいと思います。
一、宇宙の大法を探し当て、慈愛に満ち溢れた先生と出会えました
1981年のある日、私は突然宇宙にばらまかれているある種のエネルギーを感じるようになりました。それが見えることも、触れることもできないものですが、しかし抵抗することのできないものだと感じました。あれ以来、私はあの見えない触れられない世界を知りたくなりました。あれは私にとってどんな世界なのかは知りませんでした。なぜ私のすべてを察知しているようなのかも全然理解できませんでした。その世界の前で私はとても小さくて、無力だと感じました。私はただ感覚を頼りに行動し、この運命の導きに従っていただけでした。私の人生の座右の銘は「自然のままに従う、縁に従う」でした。それに導かれ、私はいつもいい人ばかりと出会い、困ったときでも必ず助けてくれる人が現れました。そして、私のまわりにはいつも奇妙なことが起こっていました。私は大学から博士課程修了後までずっと生物や、生理学、医学の研究をしているにも関わらず、まわりの奇妙なできごとを説明することができませんでした。例えば、家族と離れて外国で勉強しているにもかかわらず、家の中の大きな出来事はすべて夢を通して知ることができましたし、時には昼間でも感じることができました。夜見た夢は次の日にほんとに起こってしまいました。またよく自分が空の上に飛んでいる夢を見ました。このような不思議なでき事を私がやっている実証科学で解釈することは不可能です。私は益々この世界の不思議さを感じ、そのため、中国でも日本でもさまざまな宗教の集会場を訪れましたが、すべて私を失望させたものばかりでした。名利や情は本来人間についているものではないといいながら、なぜこころからまた神様に地位と富を手に入れるようにお願いするのでしょうか。なぜ誤りを犯して、神様に懺悔しながら、また同じ誤りを繰り返すのでしょうか。現世で消極的に待つだけで、来世はほんとに天国へ行けるのでしょうか。私は理解に苦しんでいました。そこで、私は宗教から離れ、荘子や老子に答えを求めました。もしかすると、そこからなにか私を導くものがあるかも知れないと思いましたが、依然漠然としていました。ちょうど私を満足させる答えを得られないとき、私は宇宙の大法、法輪大法と出会えました。慈愛に満ち溢れた李洪志先生と出会えました。私はやっと分かりました。人間のほんとの目的は宇宙の最高の特性真、善、忍に同化し、返本帰することにあり、そして生命の生まれたところの境地に戻るためには、真、善、忍に同化し、内から修煉するしかないです。そして、あの見えない、触れられない世界は私にとってなにを意味するか、なぜそれらの不思議なことが起こったかも分かるようになりました。初めて先生の『サンフランシスコでの説法』の本を読みますと、先生がこう書いていました「実を言うと、水こそ物質の本源である。」これを読んで、思わず涙が流しました。今まで私は水を見ながらぼうっとすることもしばしばあり、水に対してある種の奇妙な感動と興奮を覚えていましたが、それはなぜかを知りませんでした。一番好きなものはなんですかと聞かれたときに私はいつも水と答えました。今考えてみれば、それは命に対する感動であり、そして生命の本源へ戻りたい気持ちを抱いていながら、導いてくれる先生と出会えなかった複雑な心境の現れかも知れません。ですから私の全身全霊は大法に震撼させられ、先生に対する感謝の気持ちは言葉で言い表すことができません。ある私と親しい日本人の先生が私の変化を見て、このように言いました。「李鋭さん、あなたが法輪功と出会ってからこんなに一所懸命になったのを見て、私は初めて縁というものを感じました。」そうです。それはきっと縁です。平々凡々の私がなぜ先生の弟子になれたのでしょうか。まるで夢みたいな話しで信じられませんでした。ですから、この千年たってもなかなか出会えない縁をかならず大事にしなければならないだと心から思っております。
二、真、善、忍を持って、常人社会に最大限に従って、真に修煉することです
私はもともと気功に興味があり、五年間も別の気功をやっていました。97年8月に帰国の際、友達と気功の話しをしました。ある友人が彼のお父さんが法輪功をやっていると言い、それは下腹部に法輪を修め、24時間回転させる功法だとも教えてくれました。私はその奇妙さに心が動かされ、いままで勉強していた気功をやめ、法輪功を習おうと思いました。その時は世界中の多くの人々は法輪功を習っていることも全然知らなかったし、修煉の事も知りませんでした。日本に戻る前に、偶然に『転法輪』の本を手に入れる機会があったにも関わらず、それをもって帰るのを忘れてしまいました。
そのまま、日本に戻ってから一ヶ月が経ちました。涙が止まらないので、病院で診察してもらいました。検査の結果は悪性腫瘍ができ、上顎ガンと診断されました。目と鼻の間で腫瘍の摘出手術をしなければならない、最悪の場合は目を摘出することもやむえないとお医者さんから告示されました。私は泣いて手術するのを拒みました。その時、法輪功のことを思い出して、北京にいる友達のお父さんに電話を入れ、「法輪功を習ったら、手術をしなくて済むんですか」とたずねました。しかしその時彼自身も法輪功に対してまだ半信半疑なので、「やはり手術したほうがいい」と答えてくれました。やむをえず、手術をすることになりました。しかし、どういうわけか、心の中に法輪功のことを忘れることができませんでした。私は兄と妹に頼んで、来日の際に『中国法輪功 改訂版』の本を持ってくるようにしました。手術後の私はまだ本を読めないので、兄が読んでくれました。この本に対する私の最初の感想としてはやはり宇宙の特性に同化するという考え方に同感でき、素晴らしい考え方だと思いました。その後、妹は絵を見ながら、私に第一式目の功法を教えてくれました。次の日、私が病室で第一式目の功法をやり終えた途端に、熱いものが頭のてっぺんから全身に流れるように感じました。数日後、ベットに横たわっている身体がまるで存在していないように非常に軽やかになりました。
手術後の放射線治療もまた私により大法を深く理解するチャンスを与えてくれました。私の専門は鳥の言語の研究で、人間と鳥のコミュニケーションをはかれるかどうかを実証科学で証明することです。その研究のため、まず鳥の脳を解剖し、鳥がなぜしゃべれるかを調べなければならないです。そのため、私はこの10年間たくさんの鳥を殺してしまいました。すなわちたくさんの業をつくりました。今になって、考えてみれば、もし心が善の境地に達してなければ、鳥は人間とのコミュニケーションができるはずがないです。まさしく先生のおしゃった通り「実証科学の研究は出発点から間違っています。」その放射線の治療を通して、私はやっと鳥の気持ちが分かるようになりました。私がさまざまな恐ろしい機械に囲まれ、ベットに固定された様子は、まさしく私が鳥を縛ってそれに注射していると同じでした。その時私は思いました。鳥もきっと恐かったでしょう。きっと私と同じように苦しんでいるのをはっきりと分かっているに違いないです。私の行為によって、それらの鳥は他の空間で成仏できなくなり、大いに苦しんでいます。私はほんとにたくさんの業をつくってしまいました。もし先生がそれらの半分を滅してくれなかったら、私は修煉することができないでしょう。残りの半分も修煉を通して滅しなければなりません。
手術してから半年後、私はやっと日本の法輪功をやっている皆さんと連絡がとれました。皆さんがグループで一生懸命に法を学び、煉功をしている姿を見て、もっと早く連絡をとらなかったことを後悔しました。そして、もし北京から『転法輪』をもって帰れば、手術もしなくて済んだかも知れないし、する必要もなかったとも思いました。しかし、それらの出来事もけっして偶然ではないのです。その後、手術によって現れた一連の出来事は私の心性を高め、執着心を捨てさせる試練となりました。
この手術は目の摘出を避けるため、顔の骨と神経の一部を移植することになりました。その結果、私の顔は激しく変形してしまいました。知らない人が見れば恐れ、親しい人が見れば、心が痛みます。私は大法を勉強しているので、それを気にしないつもりですが、やはりまわりの人々に見られると辛い思いでした。予定では98年12月に整形手術をしなければなりません。指導教官は私のために手術費免除の手続きもしてくれまして、家族や友達みな手術に期待していました。しかし私はその時まだ手術をするかどうかについて心を揺れ動いていました。ちょうどその時、私は東京の法輪功交流会に参加でき、皆さんの日に日に精進していく姿を見て、激励されました。私は修煉者なので、容貌なんか気にする必要がないです。まわりにいかに見られても、心が動じないことができれば、ちょうど心性を高める絶好なチャンスになるではないでしょうかと思いました。私は手術をしないことに決めました。しかし、それを聞いて、日本人の先生や友達は次々と電話をかけてきて、将来の仕事と家庭のため手術をするべきだ、資金のことが心配なら皆援助してあげるよと私を説得しょうとしました。皆さんの熱意に私がとても感動しましたが、しかし自分の決心には後悔しませんでした。私は次のように答えました。「私はいま毎日とても幸せです。心が充実していれば、自然にきれいに見えると思います。私は幸せと感じれば、皆さんもきっと喜んでくれるでしょう。」やっと私のまわりも理解を示してくれました。私は肩の重荷を下ろされたように身体が軽やかになりました。驚いたのはその後動功をやっている時、全身が非常に柔らかくなり、身体がまるで無くなったように感じました。私は初めて「心性が高まってくると、身体にも大きな変化が起こります。心性が高まってくると、身体を構成している物質も間違いなく変化が起こります。」と言う先生の言葉を身を持って理解することができました。法輪功の超常的なところがここにあるではないでしょうか。精神と物質は同一なものだということは修煉者自身が体験できます。その後、いくら見られても私の心が動じることがありませんでした。法理を悟り、執着心を捨てることができ、とても嬉しく思っております。
やっと心の平静を取り戻した時、大きな試練がまた突如やってきました。
私は静かに修煉できる環境を確保するため、アメリカへの進学とカナダへの移民の考えをやめ、北京で就職しょうと決めました。そして日本の指導教官と北京の先生のご尽力で、私には助教授として師範大学の国際協力実験室に就職チャンスがやってきました。帰国の目的はそれではないですが、正直なところではそれも私にとっては魅力的でした。しかし、帰国した途端に試練がまたやってきました。北京の先生が私の整形していない顔を見て、私に傷つけないように夫人を通して次のように言ってくれました。「師範大学は人のモデルを育てるところなので、こんな顔で学校へ面接にいくのはきっと断られるに違いがないです。しかももしガン患者だと学校側に知られたら、医療費や発病期間中の休職のことも問題になるし、やはり整形してから、面接に行った方がいいですよ。」結局就職が断られました。それに対して、私自身は平静な気持ちでその事実を受け入れました。「ちょうどいいわ、仕事をせずに、どこかで、部屋を借りで、一人で修煉に専念にしたらいい。自分が大法と出会うのは遅かったので、李先生が私に安心して修煉できる機会を与えてくれたかもしれません。」とさえ思いました。後になって、それらの出来事は私に名利と執着心を捨て去り、より深く法を理解するチャンスを与えてくれたのだと悟りました。
結果として、私は整形手術をすべきだと認識しました。それは一連の出来事を通して、私は当初より法に対する理解がより深くなり、ほんとに法のなかで修煉するようになったからです。問題は手術するかどうかにあるではなく、まわりの先生や友達、家族に迷惑や苦しみを与えたことにある。常人の中での修煉は自分の想像するほど簡単なものではないし、しかも、我々法輪功は世間を離れて、修煉すると言う形式をとっていないのです。自分自身は気にせずにいられますが、周囲の家族や、友達は私が就職できないのを見て心を痛めています。これはすべて私の法に対する理解が足りないことによってもたらされたことだと思いました。李先生は常に強調しているのは最大限に常人社会に従って修煉し、蓮の花びらのように泥に染まらず、常に他人のことを考慮し、他人に迷惑と苦しみを与えないことです。なぜ私はこの理を悟れなかったでしょう。もし法輪功をやっていることを理由にして、手術を拒むとしたら、まわりの人々に法輪功が理解されなくなり、私のことも受け入れてもらえなくなるのではないでしょうか。そうなれば、私は常人社会の中で修煉ができなくなるだけではなく、知らず知らずの内に大法に泥を塗ってしまうのではないでしょうか。やっと私は常人社会の次元の法に溶け込み、真、善、忍の心をもって最大限に常人社会に従って修煉すべきだと悟りました。
今年の三月に整形手術をするために、私は日本に戻ってきました。予想もしなかったのは私はすぐ条件の優れた博士課程修了後の仕事が手に入りました。しかし、私はもう喜ぼうとしないし、それらのことに執着しょうともしませんでした。その時私は李先生の言葉を思い出しました。「実はもしあなたはなにかを失ったとしたら、それはあなたの捨てられない心が作り出したものです。絶えずあなたの心に難を与え、その心を捨てさせるのです。ほんとに危機があなたの前に現れたとしたら、その危機もあなたのその心を取り去るためのものです。あなたがほんとにその心を取り去ったとき、ものごとはすでにに変わっていたことに気がつくかもしれません。一気に精神的に楽になり、身体も軽やかになります。振り返って見ると、あなたが足りないものはなにもないのです。ほんとに中国人が言うように柳暗花明又一村になり、突然にしてすべてのいいことがやってきます。」「しかしこのようないいことが再来したとき、あなたは自分がいくらお金を持っていたとして、いくらいい運がついていたとしても、いくら難儀が現れたとしても、もう常人のように執着することがないに気がつきます。あなたはそのすべてに対して淡泊になったが、あなたはもうそのすべてを所有するようになりました。それはいいことではないでしょうか。」ですから、私はいままで歩いてきた道や、すべての出来事は決して偶然ではないと分かりました。それは李先生が私の執着心を捨てさせ、心性を向上させる為に、系統的に用意してくれたものです。私はよく法を学べばこそ、はじめて正しく法を理解することができ、李先生の導きにさえ従えば、かならず柳暗花明又一村と悟りました。
心の準備があったといえども、やはり手術にいろいろ心配ごとがありました。整形のため肩から一部の骨を移植しなければならないので、それは修煉に影響がないでしょうか。そんな大きな手術で生命の危険がないでしょうか。手術に時間を費やしたら、修煉の時間がたりなくなったらどうしょう。手術をすることは同じく修煉者から理解されるでしょうか。よくよく考えると、やはりそれらも執着心でした。時間が足りるかどうかではなく、限りのある時間の中にそれらの執着心を取り去らなければなりません。そして、法を持って師とすれば、人に理解されなくても決して恐いことではないのです。すべての試練が私には必要なことであり、私にとってはいいことです。大法が私を円満成就させてくれることを信じ、李先生の教えに従い、ほんとに修煉し、恐いという心を捨てれば、手術はきっと成功するでしょう。そのように私はすべての執着心を捨て、普段通りに『転法輪』を丸暗記したり、座禅をしたりして、自然な気持ちで手術日を迎えました。
手術後の私の身体は12時間も固定されました。全身が痛くて、座禅している状態と同じでした。私はすぐ分かりました。それはまさしく私はずっと乗り越えられなかった一つの試練でした。則ち不自然の状態の中での忍耐力でした。座禅するときに、足が痛くて耐えられないわけではないのに、しかも、痛さがすでに消えていったにもかかかわらず、足をくずしたい気持ちがおさえられないことがありました。。それは私の気持ちの中に座禅と言う不自然の状態での忍耐力がまだ欠如しているかもしれません。ですから私は自分に言い聞かせました。「耐えて行くんだ。でなければ、この手術の意味がない。」次の日私は「忍」の中に「真、善」があり、「善」の中に「真、忍」があることを悟り、そして「忍」と言う佛法の偉大さを感じました。この試練の中で、私は消極的に耐えるではなく、「真」と「善」をもって「忍」を行い、積極的に「真、善、忍」の忍に同化しなければならないと悟りました。私は益々この形式を問わず、執着心を捨てさせ、心性を向上させる大法の融和性を感じました。
手術後の回復は異常に順調でした。普通は手術後の腕が動かせるのは三ヶ月かかると言われましたが、私の場合は一週間後に煉功ができ、アレルギー体質も治りました。もっとも不思議なことは友人からもらった花が二週間たっても凋み落ちませんでいした。それは私が毎日先生の説法録音テープを聞いているからだと思います。それらの不思議なことを見て、同室の二人の患者も法輪功に興味を示し、『転法輪』を読みたいと言い出しました。その中の一人は『転法輪』を読み終え、素晴らしい本だと叫んで、自ら動作を勉強したいと申し出ました。修煉の過程の中で、私が出会った人々は決して偶然ではないと思います。大法に縁がある人であれば、私はそれを大事にすべきだと思います。
人々に大法を広げていく内に、私がもっとも考えなければならないのは効果的な仲介役をつとめるため、我々は常人社会の次元の法に同化しなければななないことです。ある中国人の友達はお母さんからも友人からも法輪功を進められましたが、なかなか修煉しょうと思いませんでした。しかし私のことを信じて、功法を勉強し始めました。その日の晩彼女は『転法輪』の第一講を読んだとき、下腹部に法輪が回転しているのを感じました。そして天目の話しを読んだとき、すぐ大きな目を見えました。とてもいい根基を持っている方です。それからまわりの日本人からも「李さんがいいと言ったら、絶対間違いがないでしょう。私たちもちゃんと『転法輪』を読んでみます。」と言われるようになりました。私は自分のことを良い悪いと言っているではなく、心から法に溶け込むことの大切さを感じました。
三、法に溶け込み、圓満成就に同化します
一年間の修煉を通して、私は大法がなければ、今日の私の心性の向上がないし、明日の圓満成就もないとしみじみ感じました。先生が「ある人の考えの中にすでに法があれば、その法のある部分はもう法に同化されたではないでしょうか。」と言いました。そのため、私は『転法輪』を丸暗記しょうと決心しました。最初はなかなか暗記しにくいのではないかと思いましたが、しかし不思議に私は一日に15ページも暗記できました。『転法輪』の暗記を通して、法に対する理解がより深くなったばかりではなく、心も落ちつき、平静になり、圓満成就にも自信満々になりました。そしてなぜ先生は何度もよく本を読みなさいと強調したかを分かるようになりました。先生の「縁がすでに結ばれ、法は修煉にあり。本をよく読めば、圓満近し。」と言う詩は我々にその秘密を教えてくれたのではないでしょうか。
「縁がすでに結び、法は修にあり、書をみること多ければ、圓満近し。」
これからも私はすべての執着心を取り去って、一日も早く返本帰真できるように精進していくつもりです。そして、私たちは法に溶け込み、圓満成就に同化することができるようにこころから願っております。最後に先生の詩をもって私の現在の心境を表したいと思います。
縁帰聖果
師をさがしこといく歳
一朝みずから見えられ
法を得てもとへ修め
圓満成就して師について返る
ご静聴有り難うございました。