わたしの修煉の心得

 私の名前は王威と言います。私は199626日法輪大法の修煉を始めました。当時私は中国の中学校2年生でした。日本に来たのは19971016日でした。

 大法と出会う前、私は病弱な子供でした。生まれて8日目に、さっそく高熱のため省都で最大の児童病院へ送られました。そこの教授先生に原因不明の高熱と診断されました。あまりにも小さかったので薬で治療するわけにはいかないとの理由で入院を拒否されました。そこで私は抱かれて帰りました。それでも母は一人で私を抱いてあちこち医者を求め、その母の愛が私の命を救いました。しかし、その後の私の人生はとても苦しかったし、母はもっと辛かったと思います。私は二日間でも薬を飲まないと、三日目には病院に行って注射を打たなければなりませんでした。私のお腹も薬屋になっていて、私の痩せた体は新薬、特効薬の試験台となっていました。

 母は教師です。私の病弱にも関わらず、母の要求はずっと厳しいかったのです。小さい頃から、強い人になれ、よく勉強せよと教えて下さったのです。小学校の最初の日のことですが、母は私を学校へ送る途中、私に何番目になりたいかと聞きました。私は「二番になりたい」と言いました。母は困惑して「どうして一番にならないの」と聞いて、私は「一番になると嫉妬されちゃう。二番ならみんな遊んでくれる」と答えました。しかし、学校の教育を受け、常人の染めがめの中で染められて、「名」をますます大事にしていきました。クラスの一位を目指して、そして学校の一位を目指して、ずっと重点学校の三位以内を守りました。しかし、誉め声の中に、私の体も心も痛めつけられていました。強がり屋で、あんまり頑張るので、試験が終わる度に、倒れるはめになりました。毎日身も心も疲れていました。毎回得られた名誉は、あっという間に去って行き、何のためにあんなに争ったのか、はっきり分からなかったけど、風の吹くまま流れのままにやっていました。もともと体の弱い私がまた心の苦しみの淵(ふち)に落ちました。学校の練習問題と放課後の補習に疲れ果てていました。

 199626日の午前、休暇期間の数学補習クラスで、多くの同級生たちはこっそり何かを議論していたのを見ました。私は好奇心で、彼たちに聞いたけど、彼たちは神秘そうに、一言だけ言いました、「法輪功」。この三文字を聞いた瞬間が、私の新しい命の始まりでした。この日は、私の生命の永遠に祝うべき記念日になりました。家に帰って母にそれを教えました。母は「ちょうど、私も近く気功を一つ学んでみたいから、早く友達に聞いて」と言いました。早速友達に電話して煉功場所と時間を聞きました。こうして私達親子修煉の輝かしい道を歩み始めました。その日の午後、動作を勉強しに行きましたが、教えて下さった方が合掌する時、手のひらにまん丸い物のあるのが見えました。当時は何か知らなかったのですが、今考えてみたら、あれは、先生が私たちに授(さず)けてくださった、この上なく貴重な法輪でした!

 次に私の修煉の中の所感を二点に分けて話したいと思います。

  1. 体の変化

 私は法輪大法を学ぶ前の身体状況についてすでにご紹介しました。あれほど病弱な私でしたが、199626日から、今日まで三年間の間、一粒の薬も飲むことなく、一回の注射も打つことなく、やってきました。体全体はとても軽く感じて、力があふれています。何回もの「業を滅する」期間中にあって、40度に達する高熱の状況で、私は先生の教え「忍び難きは忍びうる、行ない難きも行ないうる」をしっかり覚えていました。「転法輪」の356ページにこう書いてあります:「実際その通りです。皆さんはお帰りになってからぜひ試みにやってみてください。本当の劫難に直面した時、あるいは関門を乗り越える時に、試みてください。耐え難いものを耐えてみてください。乗り越えられそうもないと見えても、行ない難いと言われても、本当に行けるかどうか試しにやってみてください。もし本当にやり遂げられれば、きっと「柳暗花明又一村」というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません。」業を滅するときになれば、私はいつも心から笑いがこぼれ、声に出して笑うこともあります。本当にうれしいのです。少しでも業を自分で消せるのです。先生はあまりにも慈悲で、ほんの少しだけ私自身に業を消させる場合も、私の耐える力を考慮して、私はただ二三日間だけで関門を乗り越えました。しかし私が背負っていた大きな業は、すべて先生は私の知らない、私の想像もできない苦痛の中で、代わりに受けて下さったのです!

二 名利心を捨て、勇猛に邁進します

 小さい頃から周りの誉め言葉の中に育った私は、知らない内に「名」をますます重んじるようになりました。同級生は皆私のことを先生の「掌中の珠」(目に入れても痛くない程可愛がる娘)と言っていました。私も頑張って勉強して、一番を目指して争っていました。あの時の私は、「名」さえ手に入れれば、すべては手に入ると感じたのです。しかしそれと同時に、私は得られたすべてが、あっというまに去ってゆきました。私の目には、他の人たちはいつも苦しく見えました。争いに明け暮れて、結局何も得られなかったのに、自分の「収穫」を興味津々に楽しんでいるなんて。あの時の私は中国古代の生活にとてもあこがれていましたので、自分の感想を詩に書いて、他人に争そわないように勧めようとしました。「他人は争そわなければ、私も争う必要はなくなって、みんな平和で落ち着いて暮らせるのになあ。」しかし私にはどうしようもなかった、あの時の私も彼らの中にいましたから。

 修煉の道を歩み始めてから、私は確実に分かってきました。私は大法を得るためにこの世に来たのです。私は人生の意味を知りました。当時の私の感想は言葉で表せないものでした。

 中国の中学校三年生の生活は高校三年生に劣らないほど緊張するもので、特に私は「重点学校」にいて、高校にも「重点学校」に入りたかったのです。先生も私を「重点」に教育していました。法を得てまもないときに私と母はこの常人の中のいろいろを捨てて、ダクロン工場の中学校へ転校するように決めました。あの中学校は「重点」ではないけれど、私は行こうとするクラスの担任はちょうど私に「法輪功」の動作を教えてくださった方で、クラスには20名ほどの小さな法輪功弟子もいますし、家にも近いから、修煉にはとてもいい環境です。私はこの世界に来て、快適な生活のためではなく、人に誉められるためでもなく、名利のためでもなく、法輪大法を得て、先生に出会って、修煉の道を勇猛に邁進し、最後に円満の境地に達するためです。それなら、世間のすべてに、捨てられないものは何もないでしょう。こう考えてダクロン工場の中学校へ転校しました。これは私が法輪大法を得てから踏み出した第一歩でした。毎週水曜の放課後、法輪功学員のクラス担任の先生は私達小さい学員と一緒に法輪大法を勉強していました。こうして私はすばらしい修煉環境に恵まれ、大法において大きな進歩を得られました。法輪大法を勉強し続けることで、自分の不足を認識しました。時には、自分の「名」への執着心はかなり薄くなって、穏やかな心を保つことができると感じましたが、実際はまだまだ足りません。多くの同級生達は深夜2、3時まで勉強し、翌朝また5時に起きて勉強しました。彼等は分厚い演習問題集は数日の内にやりとげて、さらに自分で問題を探して練習していました。しかし私は毎日9時に寝て、朝6時半に起きて、先生から与えられた演習問題集すらほとんどやっていないで、自分で問題を探すなんてことはできそうもありませんでした。それを見て私は焦りはじめました。「名」に対する執着心は業力と共に私を邪魔して、寝る前の時間にも、「この時間に他の人はみんな演習問題をやっている。一問でも漏れて重点高校に入れなかったらどうしよう、他の人は私をどう見るだろう。」自分にもこの心は良くないと分かっていました。「私はもう法輪大法の修煉者です。心は安らかで慈悲を持っているはずなのに、なんでこんなに乱れて落着かないのだろう。」でも自分の「名」に対する強い執着心を追究しませんでした、「根を掘り取る」ように根本の原因を取り除くことをしなかったのです。あの「安らかの状態」だけ望んでいて、どうしてあの状態に至れないのか考えませんでした。表面の状態変化だけに注目して、心の中へ原因を求めなかったのです。実際は「名」に対する強い執着心を捨てていないことに気づかなかったのです。ですから、この意識されていない執着心は心の中に残ってままでした。とうとうある日、この心は出てきました。母に「お母さん、ほかの学生は皆遅くまでやっているのにわたしはどうすればいいの、私も11時まで勉強したい。」と言いました。母は同意しなかったので、私はすねて、机の前に坐ったままに動こうとしませんでした。母も仕方なく付き合ってくれました。こういう「名」に対する執着心に支配されて、二日間たちました。心の内はひねていたので、体も心も大変疲れて、三日目の午後家にずっと寝ていて授業に出ませんでした。起きたら、頭はけっこうはっきりしたので、その前の二日間に「名」への執着心に乱された状態を思い出し、とても恥ずかしかったのです。「転法輪」の59ページにこう書いています、「一人の人間が生まれた時、時間概念のないある特殊な空間に、その人の一生がすでに同時に存在しており、一生だけではない場合もあります。」63ページにはこう書いてあります、「それでは、個人の努力によって自分を変えようとすることは無意味なことではないか、と考え、納得できない人もいるでしょう。実は、個人の努力は人生の小さい部分なら変えることができ、小さな部分は個人の努力によって確かに何らかの変化を受けます。しかしまさにその変える努力によって、あなたは「業」も得てしまうかも知れません。さもなければ、業を造ることや、良いことをする、悪いことをするとかの問題が起こりません。無理に何かをする時、必ず人の利益を横取りし、悪いことをすることになります。」どうして私は先生の話を忘れたのでしょうか。どうしてあんなに、常人を相手に常人の物を争うのでしょうか。私はすでに先生と出会って、すでに大法を得て、先生はすでに金色の法輪を授けてくださって、永遠の命、永遠の安らかで、幸せな生命を授けて下さったのに、他に欲しい物なんてあるでしょうか。他に惜しむ物なんてあるのでしょうか。もちろん、先生は教えて下さったように「最大限に常人社会の状態に合わせて修煉」しなければなりません。(修煉の)同時に学生としての本職を良く勤め、まじめに勉強して、学校では良い学生に、家では良い娘にならなければなりません。つまり学校の先生の勤勉な労働を尊重しなければなりません。心血を傾け尽くして育ってくれた親の恩に応えなければなりません。李先生は私達に対する要求は、良い人になって、さらに良い人になって、もっともっと良い人になって、最後に常人を超えた人になることです。もし私は常人という最低レベルでの良い人にもなれなかったら、どうやって常人を超えた人になれるでしょうか。私はただやるべき本職をしっかりやるだけで、決して常人のように争ったり戦ったりはしません。心の中ではそれを重く見ないで、何を得たのか気にしないで、ただ先生の要求通り、無為の心で自分の本職の仕事を良くやるだけです。常人の利益は求めていません。ただ私は自分を大法の中に溶け込ませたから、常人という最低レベルでの大法の表現の要求を満たさなければなりません。こう考えて、私は授業をまじめに聞き、宿題をまじめにやり、自分の時間をアレンジして煉功と大法の勉強をするようにしました。心は二度と乱されず、ずっと安らかな状態を保ちました。この状態はいままでみたいに無理矢理に追求して得られたものではありません。これは、先生には絶えず啓発して頂き、教えて頂き、先生の宏大な慈悲心に導いてて頂いたおかげです。そのお蔭で、他の人は体重急激に降下し(5キロ以上減った人もいました)、枯れ木のように痩せていた時にも、私は静かな心で試験を迎えることができました。

  名の執着心は薄くなったが、完全には捨てませんでした。試験の日の朝、私の心は動いて、急に起きてしまいました。(いつも母は起こしてくれました)まだ4時頃でした。心はドキドキして、今日は試験だとか、戦場へ行くのだとか思い出しました。突然頭を上げると、先生の写真が見えました。心は急に落ち着きました。頭の中は真っ白になって、目を閉じてもう少し寝ようとしました。この時目の前に二つの大きな法輪が現れ、そして法輪の間に先生の法身が現れ、蓮華の上に坐っていました。私の心は完全に和らいだ気持ちになり、慈悲の中に溶け込み、また眠りました。6時半に母が起こしてくれました。三日間連続の試験の中、私はぜんぜん緊張しませんでした。当時私の学年に、あの試験会場へ割り当てられたのは私一人だけでした。ほかはほとんど別の学校の学生でした。私は最後の席に坐っていて、三人の試験監督は私の周りに行ったり来たりして、時には私のそばに立ったまま動かなかったり、その一人の先生はちょうど私の席の隣りに腰をかけました。でも私はぜんぜん恐くなかったです。私は李先生の法身が自分のそばにいるのを知っていますから、当時はただ先生と私と2人だけあの試験場にいたと感じていました。私は李先生の話を思い出した、「あなたに属するものは無くすことはないし、あなたに属しないものは争そってももらえない。」ですから非常にリラックスして三日の試験を終わらせました。国文の試験の後、国文の先生は皆に作文の状況をききました。点数に占める作文の比例はとても大きいからです。私は簡単に話したら、先生も同級生たちも私の答えは問題の要求から離れていると言いました。当時私の心はぜんぜん動きませんでした。ですからただ笑っていただけでした。数日後、標準解答が配られました。私は一通り見て驚きました。この十数年に大小試験をいろいろ経験してきましたが、今回だけは、まったく遺憾無くできた試験です。間違っているのは皆私のぜんぜんわからない部分で、いくら頭を使ってもできない問題でした。分かる部分は全部答えました、しかも全部正しく答えました。

  最後に発表された成績で、私は合格点を30点程超えて、ゆうゆうと重点高校に合格しました。国文の成績は私の学校では一番となり、受験者全体でも前の方の数名に入っていました。特に作文は「一等」と評価されました。発表の後で多くの人は私を見て、不思議に思って聞きました、「皆痩せているのにどうしてあなただけかえって太ったの?」私は冗談で「心が寛くなると、体は太る」と答えました。本当です。私はこの一年足りない時間に、つまずいたり転んだりしながら、修煉の道を歩き、先生の宏大な恩恵と慈悲の中に、世界は広がり、心は昇華してきました。前のように人生を悲しく嘆いたりしなくなりました。前のような、人生の苦痛から解放できない無力感はなくなりました。前のように生活と勉強に疲れ果てた日々はなくなりました。この大きな試験の後、私は笑いました。重点高校に合格したためではなく、修煉のさらに高いレベルに合格したからでした。それから二度と学習(成績)の「名」に縛られることなく、余裕をもって正しい態度で勉強に臨むことができました。

 日本に来た後、日本語が下手なので、他の学生達と交流できず、中国では先生や同級生達の人気者だった私は突然見知らぬ環境に入りました。何回か他の学生に「おはようございます」と挨拶しましたが、彼女達は聞こえなかったのでしょうか返事しませんでした。その時私の捨て切れなかった虚栄心がまた出てきました。メンツがつぶされたと感じました。でもすぐ先生の話を思い出しました:「常人の苦楽を気にしない者こそ修煉者、世間の得失を執着しなければ羅漢なり」そして心はおだやかになりました。当時私はこう悟りました、まだ常人の苦楽にくよくよしてどうしますか、まさか、人にやさしく接するのは、人もやさしく接してくれると期待しているのでしょうか。まだこんなに世間の得失に執着しているなんで。先生は「無私無我,他人は先に自分は後に」と教えて下さったのに、どうして私はまだ人の態度を気になるのでしょうか。これは「私()」のためではないでしょうか。名に対する執着は私の心にまだ残っているのではないでしょうか。私はまだ「根を掘り出し」ていません!この名を捨てる良いチャンスを掴まなければなりません。私は自分の一つ一つの考えを修煉者の基準に合うように努力しました。あの執着心を徹底的に捨てた途端、周りのすべてが変わりました。クラスメイト達は進んで私に「おはよう」と挨拶したり、別のクラスの学生さえやってきて話かけてくれました。でも私はもうこういう事に執着しなくなりました。「煉功者としては、どのように失と得に対処すればよいでしょうか? それは常人の場合とは違います。常人が得ようとしているものは個人の利益で、どうすれば暮しが良くなるか、どうすれば楽に暮せるかということです。煉功者はそれと正反対に、常人の得ようとするものは求めようとしません。そのかわり、常人は修煉しないかぎり、われわれの得るものを得ようとしても得られません。」(131)

 私は必ず、先生の丹念に作って下さったすべての修煉の機会を逃さず、時々勇猛邁進する法輪大法の小弟子になって、先生に従って、家に帰ります!

 最後に先生の「縁帰聖果」という詩を皆さんと一緒に勉強したいと思います。

 

    先生をさがして幾多の年月がたち

    今日はやっとお目にかかり

    大法を得てかえるために修め

    円満の日に先生に従い帰ります