さらにわかりやすく知りたい人のための
法輪功 Q&A

  

Q:法輪功は新興宗教のようなものでしょうか?

A:いいえ、違います。法輪功は中国文化の精華ともいうべき「気功」です。

Q:どうして宗教団体のようなものと見られているのでしょうか?

A:法輪功は1992年に伝え出させると、急速に広まり、またたく間に、60数カ国において、一億人に及ぶ人びとが学ぶようになりました。

それはまるで、宗教が伝播していくようなあり様でした。しかし、このような伝わり方には理由があります。

創始者の李洪志先生は、法輪功を広めるにあたって、無償のボランティアで法輪功の動作を伝えるよう、そして何よりも強制して学ばせることがないよう、学んだ人たちに求めました。法輪功の動作はシンプルですが、他のどのような気功にも見られない、独自な道を切り開いています。

健康増進に役立ち、病み疲れた人々に希望の光をもたらしました。

法輪功は、一切の寄付を求めず、会員もなく、組織らしい組織もつくりません。学びあう仲間のゆるやかな結びつきがあるに過ぎません。学びたければ学び、学びたくなければあえてだれも強制することはありません。

このような法輪功のひろびろとした自由な精神が、多くの人の心をとらえたのでした。むしろ宗教のような形式が一切なかったからなのです。個人を礼拝することや戒律など、一切の儀式をすべて要らざるものとして、投げ捨てています。

Q:それでは、どうして中国政府は法輪功を迫害するのでしょうか?

A:中国政府は、法輪功を学んでいる人の人数を調査し終えて、びっくりしました。六千万ともいわれる共産党員の数を上回る結果が出ました。億人の人びとが学びはじめていました。

つまり、法輪功が正しく良いものであるかどうかではなく、中国政府にとって都合がいいかどうかによって、迫害が始まりました。

法輪功を学ぶ人の人数が共産党員を超えていることは、権力者にとって許しがたいことだったのです。これがひとつの真相です。

都合の悪いものにレッテルをはり、世界に向けて宣伝し始めました。

「焼身自殺事件」も巧妙に作られた映画製作でした。世界の良識ある人びとの眼には、すでに明らかとなっています。法輪功は人びとの生命と健康、そして何よりも人生そのものを尊重することを、根本精神としており、自らの命を断つことは、どんな理由があるにせよ、法輪功の精神に反するものです。

Q:法輪功の人びとは天安門広場へ出かけては、逮捕されていますが、どうしてそのような行動をやめないのでしょうか? 政治的なデモ行為のように報じられていますが…。

A:中国に住む法輪功を学ぶ一部の人たちは、どうして天安門へ出かけるのでしょうか。不当に逮捕され、裁判もなく強制労働所に入れられ、理不尽な拷問を受けている人たちを救い出すために、人間の権利として許されている「請願」に出かけているに過ぎません。

全く非暴力的な、無言にひとしい煉功動作をするだけの「請願」です。

これは迫害を受けている人びとがなしうる、最も清らかな人間的な行為の一つではないでしょうか。

Q:太極拳などの気功と法輪功との違いはどこにあるのでしょうか?

A:もしあなたが一度でも法輪功の動作を学ばれたら、その違いは、キリンと象を見分けるよりも明らかなことに気づくはずです。ほとんどの気功は、動作や手法を学ぶことがほとんどですが、法輪功は、動作を包み込んでいる法輪功のものの考え方が、最も大切なものです。

ズバリ、「心」のバランスを修めつつ「動作」を学ぶということに尽きます。クワシクは学んでいる人にお尋ねください。

Q:法輪功の活動(チラシや新聞など)はどこから出ているのでしょうか?

A:法輪功を学ぶことによって、カラダがすこやかになっただけでなく、生きる意味までも見出した人たちは、心から法輪功との出会いを感謝し、同じ喜びを多くの人と分かち合うために、法輪功を広める活動をおのずと始めるようになりました。

活動は、そうした人たちが気持ちを出し合うことによって、まかなわれています。けれども、個人がお金を出す出さないは、まったく自由であり、それを誰もこだわることはありません。

Q:法輪功は政治活動をどのように見ているのでしょうか?

A:法輪功を学ぶ目的は、まず心をすっきりさせ、からだもすっきりさせ、一人のまったく正常な良い人間になることです。政治活動には論争がつきものであり、人心を掌握するための駆け引きがあり、権力闘争があります。法輪功を学び実修することは、これらの心から遠ざかることなので、法輪功は永遠に政治活動にかかわることはありません。