正念を持ってこの法を正す道を歩もう ‐‐‐日本北線SOS徒歩についての連続レポート
[明慧ネット]2001年9月21日
1、旅のスタート
9月12日午前10時40分くらい、私たちは中国駐日札幌領事館の前で正念を発した後、日本を横断するSOS緊急救援徒歩を始めました。その日は小粒の雨が降ったりやんだりしたが、しかしそれでも、私たちは大法の洪大と李先生の慈悲を感じました。というのは、10日に私たちが仙台から北の札幌へ行く間に、台風がずっと私たちの後に付いて北へ進んだのです。天気予報によると、台風は12日に札幌に上陸するようでした。それを聞いた私たちは、これは邪悪勢力が今回の法を正す活動に対して妨げていると気付きました。だから、時間があれば邪悪を取り除くために皆で一緒に正念を発したりしました。それで、台風の姿がやはり消えてしまいました。
小粒の雨の中で、十数キロメトールを歩いた後、私たちは山に入りました。山道は歩き難くて、歩道もなくて、それにトンネルがたくさんありました。また、道の側に電灯がついていなくて、車のスピードもとても速いので、夜歩くのはちょっと危険です。だから、皆は朝早く起きてはやく出発して、夕方暗くなってからテントを張って休もうと決めました。山の中の天気は良くなく、時に雨が降ったりして、夜に霧があってとても寒いです。しかし、天気がよいか悪いかにもかかわらず、私たちは空が暗くなるまで歩いて、それから、テントを張って休むのです。
道を歩いている間に、皆はそれぞれ業力が消される違った反応が現われました。ある学習者の脚にはふくれものができて血も出てきて、顔の肌はつよい日差しでぼろぼろになったのに、なお楽観的に歩き続けました。特に、もう一人の学習者は旅の最初から吐き続けましたが、しかし全然やめる気は有りませんでした。また、一人の年配の学習者がいて、彼女は以前一日4キロメトールも歩けず、長い道を歩くのが嫌だったと言いました。しかし、今回彼女は歯が痛く、脚にふくれものができたという状況で歩き続け、しかも彼女は歩けば歩くほど速くなって、他の若い学習も彼女に追い付けなくなったのです。
皆は毎日法を学び煉功していました。また、途中で正念を発したりして、何かの問題やトラブルが起きたらお互いに相談しあいました。私たちは今回のたびの重大な意義がよく分かっています。法を広めて真相を伝えて世の人々を済度するために、または人々の良知や善の念を目覚めさせるために、私たちは何も恐れずただ前に向かって歩き続けました。
2.旅の途中で真相を伝え、法を広める
旅の途中に、売店やガソリンスタンド、駐車場があれば、私たちはいつも大法のチラシや資料を配りました。多くの人々は私たちの行動に心を打たれて、「チラシをちゃんと読むよ。頑張ってね。」と励ましてくれました。将来大法に済度されるかもしれない一つ一つの生命に現われた善良な本性を見て、私たちは本当に嬉しかったです。私たちがよく言っている言葉は「できるだけ一人でも多く済度しよう」という事です。
人がちょっと多い町では、私たちは一緒に煉功したりして、住民にチラシを配りました。また、公共施設や各市、町、村の役所に大法に関する資料や写真を持っていきました。私たちが訪れた各役所の職員さんは皆まじめに私たちの話しを聞き、そしていくつかの役所や役場は大法の真相資料を公告ボードに貼り出すと許してくれました。また、ある職員さんは個人の名義で応援の署名をしてくれました。何十キロメトールの間に村がない地域では、私たちが休憩をする時、道の側に大法の横断幕を掛けて、一緒に煉功して正念を発していました。そうすると、往来の車からの注目を集められました。私たちは本当により多くの人が大法を知り迫害の真相を理解するようになってほしいからです。私たちの中に六十才くらいの年配の学習者もいます。徒歩の途中で出会った人々は、彼女の姿を見て信じられなかったのです。だから、多くの人は積極的に私たちの方にきて尋ねました。わたしたちもそれが良いチャンスだと思って、彼達に大法について話しました。とても良い効果がありました。
3.道を急ぐという執着を捨てよう
私たちは毎日朝五時に起きて、夜暗くなってから休みます。途中で休憩する時、いつも煉功して法を学ぶか、或いは時間を惜しんでご飯を食べながら交流します。皆は毎日少なくても二十キロメートルを歩こうという考え方を取っています。だから、どんなことがあっても、皆ただ一筋に歩きました。毎日暗くなってからテントを張って、また法を学んで終わる時にはもう十一時になってしまい、疲れ切った私たちは各自の体験をまとめることや私たちの旅に関する具体的な状況を他の人に知らせる事もできなくなっていたのです。
しかし、実は私たちが出発する前、私たちの今回の旅はいかなる結果を重視するのではなく、どうやって旅の途中で法を広めて真相を伝えていくかを考えるべきだとちゃんと分かっていました。でも、実際徒歩する時、いつも今日は何十キロメトールを歩かなくちゃとか、明日も何十キロメトールを歩かなくちゃという執着が出てきて、しかもたまに法を学び煉功する時間を使って道を急ぎたいという事もありました。確かに、誰かが道を急ぎたいという気持ちがあれば、他の学習者の執着心を引き出してきます。従って、ちょっとしたトラブルもありました。しかし、古い学習者の穏やかな意念に導かれて、私たちは真の無為とは何か、求めず自然に得るという本当の意味が分かって、自分たちにはどういう問題があるかを見つけ、心を調整しました。私たちは穏やかな心と正念でこの法を正す道を歩まなければならないのです。